プロローグ 多数決の宰相
総選挙の翌朝、テレビ局の速報画面には、大きく数字が並んでいた。
自由党 336議席、衆議院の三分の二を大きく超える圧勝だった。
官邸の執務室で、新たに首相に就任した神崎ナオミは、静かに窓の外を眺めていた。
「国民は、ここまで明確な答えを出したのね。」
秘書官が新聞を机に置く。
「野党各党は、『謙虚な国会運営を求める』とコメントしています。」
神崎は笑った。
「謙虚とは、何に対してかしら。」
初めての国会、野党議員が立ち上がる。
「首相は、野党との対話を軽視しているのではありませんか。」
神崎はゆっくりと演壇に立った。
議場は静まり返る。
「皆さんは、民主主義とは何だと考えておられるのでしょうか?」
誰も答えない。
「民主主義とは、国民が投票し、その結果に従う制度です。」
神崎は議場全体を見渡した。
「今回の選挙で、国民は自由党に衆議院の三分の二を超える議席を与えました。」
少数野党席からヤジが飛ぶ。
「独裁だ!」
神崎は表情一つ変えない。
「違います。」
「独裁とは、国民の意思を無視して権力を行使することです。」
「私は逆です。」
「国民が示した意思を、そのまま政治として実現するだけです。」
議場は静まり返る。
神崎は続けた。
「私は、少数野党とまともに政策を議論するつもりはありません。」
ざわめきが広がる。
「なぜなら、それは国民が選んだ政治を歪めることになるからです。」
「もっと正確に言いましょう。」
「少数野党の意見を聞き、それを国政に反映することは、国民が示した多数の意思を弱める行為になりかねません。」
「それは民主主義に反する暴挙です。」
野党席から怒号が飛ぶ。
「横暴だ!」
「傲慢だ!」
神崎は水を一口飲み、静かに答えた。
「皆さんは国民から重要な役割を与えられています。」
「政権を担うことではありません。」
「政権を監視することです。」
「法案を読み、予算を精査し、行政をチェックする。」
「その仕事は極めて重要です。」
「しかし、国民が多数を与えた政策を、少数だからという理由だけで修正させる権利までは与えられていません。」
議場は一層ざわつく。
神崎は演説を続けた。
「これまでの国会を見ていますと、政策論争よりも二流メディアの記事を後追いしている時間の方が長いのではないかという誤解を与えかねません。」
「首相の秘書が、数年前の会合で、ある人物と会っていたのではないか。」
「我が党の議員が、ホテルで写真を撮られた。」
「ある政権関係者が、違法行為をしていたのではないか。」
「そのようなことばかりです。」
神崎は議場を見渡した。
「私は、それを政治とは思いません。」
「政策で勝負してください。」
「国家のグランドデザインで勝負してください。」
「二流メディアの後追いをするために、この国の最高機関が存在しているのではありません。」
野党席から再び怒号が飛ぶ。
神崎は静かに言葉を重ねた。
「もちろん、違法行為があれば司法が裁きます。」
「行政に問題があれば監査機関が調べます。」
「国会が毎日、メディアの延長戦を続ける必要はありません。」
「それは国民が期待した仕事ではないでしょう。」
数日後、テレビでは「強権的」「民主主義を誤解している」といった評論が並んだ。
一方で、街頭インタビューでは違う声も聞こえていた。
「政策の話をもっとしてほしい。」
「スキャンダルばかりで疲れる。」
「与党にも野党にも、本来の仕事をしてほしい。」
神崎は官邸で世論調査を見つめた。
支持率は高いままだった。
秘書官が尋ねる。
「首相。これほど反発を受けても、方針は変えませんか?」
神崎は即答した。
「変えません。」
「私は評論家ではありません。」
「首相です。」
「国民から多数を与えていただいた以上、その期待に応える責任があります。」
「その重責を、選挙で負託されていない野党勢力との妥協によって曖昧にすることはできません。」
窓の外では、国会議事堂が夕日に照らされていた。
民主主義とは何か。
それは、全員が満足する制度ではない。
最後は、国民が投じた一票一票を積み重ね、多数によって進路を決める制度である。
神崎は、その原則を誰よりも重く受け止める首相だった。
賛成も、反対も受け入れる。
しかし、政治の責任だけは、多数の負託を受けた者が引き受ける。
それが、彼女が信じる民主主義だった。
多数決の宰相「党首討論」
国会の代表質問最終日、議場は異様な静けさに包まれていた。
自由党は衆議院の三分の二を超える議席を持つ、だから法案は、通そうと思えば通せる。
それでも、この日の質問だけは全国が注目していた。
質問に立つのは、野党第一党・改革民主党の党首、白石遥だった。
白石は演壇に立つと、原稿を閉じた。
「総理。」
女性首相、神崎ナオミは静かにうなずいた。
「あなたは、民主主義とは多数決だとおっしゃいました。」
「私は、その考えを否定しません。」
議場が少しざわめく。
「しかし、多数決だけでは民主主義は完成しません。」
「議論があるからこそ、多数決には正統性が生まれるのです。」
白石は議場を見渡した。
「国会とは、単に議席数を数える場所ではありません。」
「異なる意見をぶつけ、より良い政策を生み出す場所です。」
「もし多数派が少数派の声を聞かないのであれば、それは民主主義ではなく、単なる多数派支配です。」
野党席から拍手が起こった。
神崎は静かに演壇へ向かった。
「白石党首。」
「あなたは、とても美しい理想を語られました。」
「しかし、それは理想論です。」
神崎はゆっくりと言葉を選ぶ。
「私から質問します。」
「仮に選挙で一割の支持しか得られなかった政党の政策を、国民の七割が支持した政党と同じだけ反映させるのであれば、それは一票の価値を平等に扱ったことになりますか?」
白石は答える。
「同じだけとは申し上げていません。」
「耳を傾けるべきだと言っているのです。」
神崎はうなずいた。
「私は耳を塞いではいません。」
「今日も、あなたの質問を最後まで聞いています。」
議場に笑いが漏れる。
「しかし。」
「聞くことと、採用することは違います。」
「私は国民から、『自由党の政策を実行せよ』と命じられました。」
「その命令を変更する権限を持つのは、国民だけです。」
「野党ではありません。」
白石は一歩も引かない。
「総理。」
「選挙では見えなかった問題が、その後に見つかることもあります。」
「少数派の指摘が、後に正しかった例は歴史上いくらでもあります。」
神崎は即座に答えた。
「その通りです。」
白石は少し驚いた表情を見せた。
「だから私は、行政機関を持っています。」
「専門家を持っています。」
「審議会があります。」
「官僚がいます。」
「監査機関があります。」
「司法があります。」
「政策は、そうした仕組みの中で不断に検証されます。」
そう言って、神崎は議場全体を見渡した。
「しかし、それと政党政治は別です。」
「国民は、政党を比較し、自由党を選んだ。」
「その結果を国会で薄めることは、私にはできません。」
白石は静かに問い掛けた。
「総理は、野党に何を期待しているのですか。」
神崎は迷わなかった。
「監視です。」
「徹底的な監視です。」
「予算を調べてください。」
「法律の欠陥を探してください。」
「行政の暴走を止めてください。」
「不正があれば暴いてください。」
「その仕事は、与党より野党のほうが適しています。」
「しかし。」
神崎は少し間を置いた。
「政策の方向を決める仕事だけは、選挙で多数を得た者の責任です。」
白石は静かに息を吸った。
「私は違う考えです。」
「確かに民主主義は、多数派が勝つ制度です。」
「しかし、それ以上に、異なる価値観の共存を許容する制度なのです。」
「少数派の声を聞くことは、多数派の敗北ではありません。」
「民主主義の理念です。」
神崎は静かに微笑んだ。
「そして私は、多数派が責任を持って決断することこそが、民主主義の理念だと考えています。」
議場は静まり返っていた。
互いに相手の人格を否定することはない。
声を荒らげることもない。
あるのは、民主主義に対する二つの思想だけだった。
国会中継を見ていた高校生が、父親に尋ねた。
「どっちが正しいの。」
父親はテレビを見つめたまま答えた。
「たぶん、その答えを決めるのが選挙なんだろうな。」
翌日の新聞は、それぞれ異なる見出しを掲げた。
「女性首相、信念曲げず。」
「野党党首、民主主義の理念の重要性を訴える。」
「民主主義とは何か?」
どの記事も結論は書いていなかった。
結論を書く資格を持つのは評論家でも記者でもない。
一票を投じる国民だけだからだ。
To be continued.
