国会の廊下は、いつも少しだけ冷たい。
春の予算審議。
テレビカメラが並び、記者たちが群れ、SNSでは「味方か、敵か」という単純な言葉が踊っている。
その中央に立つのが、若き衆議院議員・神谷玲奈だった。
三十八歳、元通商交渉官。
ワシントン、ニューデリー、台北、ブリュッセル。
彼女は「同盟」も「友好」も、会議室のドアが閉まった瞬間に別の顔を見せることを知っていた。
壇上で与党議員が叫ぶ。
「インドとは安全保障を共有するパートナーです!台湾は民主主義の同志です!我々は同志国と一致団結して経済連携を強めるべきだ!」
拍手が起こる。
玲奈は、ゆっくりとマイクの前に立った。
「同志?同盟?それは軍事と外交の言葉です」
場内が静まる。
「経済の世界に“同志”という言葉はありません」
ざわめき。
彼女は続ける。
「たとえば、インド。安全保障では重要なパートナーです。しかし、半導体、製薬、IT人材。彼らは国家の総力を挙げて産業を育てています。日本企業が甘い見通しで参入すれば、容赦なく叩き出されます」
議場の空気が張り詰める。
「台湾も同じです。民主主義の同志であることと、半導体市場で日本が勝てるかどうかは、まったく別の話です」
彼女は一瞬、言葉を切った。
「経済は敵味方の戦争ではありません。すべてが敵の戦場です」
「勝者総取りの弱肉強食です」
その一言が、テレビ越しに全国へ流れた。
その夜。
玲奈は秘書の真理と、議員会館の小さな会議室にいた。
「強すぎませんか、今日の発言」
真理が心配そうに言う。
玲奈は微笑んだ。
「強くないと、聞こえないの」
彼女は外務省時代を思い出していた。
ワシントンで、「日米は家族だ」と言われながら、自動車関税の議論では一歩も引かなかったアメリカの交渉官。
アメリカは、資本主義のチャンピオンというポジションを守るためならば、同志国に対しても一切容赦しない。
ニューデリーで「友好100年」と乾杯しながら、翌朝にはデータローカライゼーション規制を突きつけられた会議。
データローカライゼーション規制は、インド国内で収集された個人データの処理(インド国外への移転を含む)に厳格な同意管理と透明性を求め、違反に対して高額な制裁金を科すもので、日本企業への影響は大きい。
国家は人格を持たない。あるのは、国益だけなのだ。
翌日の予算委員会。
与党の重鎮が皮肉を込めて言った。
「神谷議員は、同盟を否定するのですか?」
玲奈は首を振る。
「いいえ。私は同盟を、守りたいのです」
静寂。
「だからこそ、幻想を捨てるべきだと言っているのです」
彼女はホワイトボードに三つの円を書いた。
軍事。
外交。
経済。
「この三つは、重なる部分もありますが、完全には一致しません」
ペン先が、経済の円を強く叩く。
「ここでは、国籍は関係ない。あるのは、資本、技術、価格、スピード」
「味方だから市場を譲ってくれる?そんな国は、世界のどこにもありません」
「味方だから安く技術を供与してくれる?そんな国は、世界のどこにもありません」
「味方だから安く資源を売ってくれる?そんな国は、世界のどこにもありません」
「味方だから高く日本製品を買ってくれる?そんな国は、世界のどこにもありません」
一瞬の沈黙。
「我々が“同志だから大丈夫”と思った瞬間、競争に負けるのです」
SNSは炎上した。
「強硬すぎる」
「冷たい」
「国際協調を否定している」
しかし一方で、若い起業家や技術者たちは彼女の動画を共有した。
「やっと本音を言う政治家が出た」
「これは現実だ」
数週間後。
総理主催の経済安全保障会議。
大企業の会長たちが並ぶ。
「インド市場は友好国ですし…」
誰かが言いかけたとき、玲奈が遮った。
「友好は尊い。しかし契約書には、友好条項はありません」
会議室に苦笑が走る。
「私たちは、相手国を敵視する必要はありません。だが、競争から目を逸らす理由もありません」
彼女は資料を示した。
各国の産業補助金。
関税。
技術囲い込み政策。
「笑顔で握手しながら、裏では全力疾走している。それが普通の国家です」
その夜、玲奈は一人、永田町の灯りを見下ろしていた。
「敵でもない、味方でもない。」
玲奈はつぶやいた。
「勝者と敗者がいるだけ」
彼女の目は静かだった。
甘い理想を壊すことは、嫌われる。
だが、現実を直視することからしか、強さは生まれない。
翌朝の記者会見。
最後の質問が飛ぶ。
「神谷議員、あなたの外交観を一言で言うなら?」
玲奈は迷わなかった。
「尊重と警戒の両立です」
フラッシュが光る。
「信頼はする。だが、依存はしない」
それが、彼女の政治哲学だった。
そして日本は、少しだけ目を覚まし始めていた。
To be continued.
