以前からあるのですが、日本における入れ墨やタトゥーの是非に関して、私は、少し違った視点で切り込んでみたいと思います。

 

テレビでもネットでも、このことに関する意見といえば感情的なものが多いです。「日本だから」、「文化だから」、「ルールだから守ろう」などという一方で、「世界的には問題ないものだから、一概にタトゥー=入場禁止は差別的ではないか」など様々です。

 

どちらも一理あるでしょう、ですので、ここでは、過去の事例などを検証して、タトゥーの社会的立場が、これからどのようになるか吟味してみたいと思います。

 

タトゥーや入れ墨は、日本では忌み嫌われる物の象徴です。理由はいろいろあるようですが、昔、罪人に彫っていただとか、も含めて悪いイメージが付いているからだそうです。

 

では、アメリカではどうでしょうか?確かに好き嫌いはあります。「自分の娘には彫ってほしくない」という父親もいました。当然、個人的な価値や周りの友人・家族からの影響もあります。

 

しかしながら、普通の大学生が「昨日タトゥーを入れてきました!」みたいなのをSNSに出稿したりして、社会的なタブー行為のようには捉えられていません。

 

それでは、他の例を見てみましょう。髪を明るい色に染めるという行為は、日本では、かつては、不良の象徴で、これも社会的に忌み嫌われていました。

 

実際、1990年代のはじめ位までは、大人でも茶色く髪を染めるのは、良くないイメージでしたし、当時の週刊誌などで、嫌いなタレントに髪を染めている理由で上位になっている人もいたくらいです。

 

それが、90年代後半くらいから、ファッションで普通に若い子が染め出して一般的になります。しかし、茶髪は不良少年・少女の特権でしたから、彼らのアイデンティティーの死活問題ということで、普通の高校生の茶髪を半ば強迫的にやめさせようとする「茶髪狩り」というのもありました。

 

その後、2000年代では、ほとんどの人が髪を明るく染めるようになるのです。もう、ここまでくるとタブーも悪いイメージも払しょくされ、過去の概念は何だったんだろうまで来ました。いわゆる完全忘却です。

 

現在は、人それぞれで、好き嫌いや、似合っているかどうかだけで、いろんな色に染めたり、染めなかったりで、社会的タブーだと思っている人はほとんどいないでしょう。

 

一方で、逆の例で言えば、たばこですね。今から40から50年以上前では、大人の男なら嗜むべきと、親から言われて吸い始めた、などという話も聞いたくらいです。

 

もちろん、好き嫌いもあるのですべての人が吸っていたわけではないですが、私の叔父や祖父などは吸っていました。しかも、家の中や車の中で、子供がいようが関係なくです。

 

実際、バスや電車の中に灰皿もありましたし、1996年では、国際線の飛行機の中にも喫煙席があったくらいです。

 

それが、年々厳しくなり、アメリカでは、ドアから10メートル以内でも喫煙は禁止しているところもあるくらいです。

 

この状況に賛否両論もありますが、嫌煙という価値が作られてきた経緯で、ある意味タブー化しつつあるものです。

 

ここでタトゥーに戻りますが、髪を染めるとか喫煙とは少し状況が違って、簡単に戻せたりしないというものですが、過去の例でも見たように全く状況が変わる日が来るのでしょうか?

 

もちろんわかりませんが、考えられるシナリオもあります。現在では、日本人でも小さなタトゥーを入れる人は多いとも聞きます。また、観光客では当たり前に入れている人も少なくないでしょう。

 

ここで、誰かが、「タトゥーを入れている方歓迎」のプールなどの施設を作ったとしましょう。もちろん、迷惑行為をすればすぐに通報し退場してもらう、のと、暴力団関係者はタトゥー・入れ墨を入れている・入れていないを問わず入場をお断りしています、などと、きちんと管理をし、成功すれば、茶髪の時のように社会的タブーが消滅する可能性があります。

 

日本人であれば、成功して儲けられれば、また、イメージが変わっていけば、それほど強情でもないような気がします。

 

もちろん、今すぐには起こらないでしょうし、状況が変われば、元に戻るかもしれませんが、日本人にとって、「非タトゥー」という「信仰」がどこまでのものか見られるという点では面白いかもしれないですね。