最近見たテレビ番組で、ある生徒のテストの回答とその採点で、具体的な数字は忘れましたが、「3.8 + 5.2 = 9.0 と書いたら、減点された」ということで論議が行われていました。

 

ポイントは、小数点以下のゼロは省略するというルールの下で、9.0 は 9 に、しなければならないために、1点減点されていた、ということです。

 

児童側としては、「なぜ合ってるのに点数引かれるの?」と思ったり、まわりの大人たちも、「答えはあっているから正解で良いのでは」とか、「クラスでそう教えられていたら、減点されても文句は言えない」など、いろいろな意見がありました。

 

番組的には、「9.0 と書いて減点するのは、形式的すぎてはいないか」、「答えとしても間違えていないし、問題にそういう条件が書いていなければ、減点すべきではない」という結論になりました。

 

僕も、おおむね、その方向で同意はできますが、教育と学び、という視点から、もう少し深く議論してみたいと思います。

 

まず、教育の現場で、教師がきちんと説明して、生徒が理解しているのならば、減点することに問題はないでしょう。本来ならば、その生徒が「なぜ」と直接、先生に質問をぶつけるべきですし、先生も理知的に説得させられなければ、減点を取り消すなり、「今回は引かないけど、次回は気を付けてね」というように柔軟に処理するのが教育における重要な点です。

 

この例に限らず、ある種の形式が、余計な間違いやコミュニケーションのミスを防ぐことがあって、学問的に正しい・正しくない、とは関係なく行われることもあります。

 

この件に関しては、多少微妙なところでもあります。人によっては、たいしたことがないと思えますし、教師からすれば、余計なゼロを省略するほうが整理されていて、見やすい、というのもあるでしょう。

 

これは、国や地域によっても違う部分があって、アメリカでは、小数点の前のゼロを省略する傾向にありますが、日本やスペインなどは基本的に小数点の前のゼロをそのままにするようです。(もちろん、習った先生にもよるかもしれませんが)

 

そういう意味でも、授業でディスカッションするのも手かもしれません。つまり、説得力があるやり方に従うという手です。先生は司会に回って、「じゃあ、その問題の答えとして9.00 は、あり得ますか?」などと質問するのもいいでしょう。

 

いずれにせよ、僕の印象としては、日本では、少々、やり方や結果の正解・不正解を早急に判断したがる、という傾向があります。

 

知識を習得するには、「交渉」という部分も重要になってきます。交渉と言うと、点数を取引するような印象ですが、そうではなくて、相手を説得したり、議論を拡大したり、応用したりしながら、知識が個人と社会の間に浸透する過程のことです。

 

現実の学問は、そのように発展してきています。もちろん、定量化や実証も交えて、単なる詭弁や雰囲気でまとめるということでは決してありません。

 

あまりに、常軌を逸した教育を効果もないまま続けさせるのは、問題かもしれませんが、教師が試行錯誤しながら生徒と一緒に学ぶ環境を、ちょっとしたことですぐさま外から修正するのは真の教育という視点からは問題かもしれません。

 

もちろん、僕の意見も正解とは限りませんが、番組を見終わって、「考えて自分なりの答えを整理しながら、試行錯誤を続けることを奪うこと」には気を付けなければ、と思いました。