いきなり物騒な話かもしれませんが、英語の表現で、「殺」とか「死」という言葉で示す日常用語が、例えば、日本語などに比べて多いということを以前、アメリカ人から聞いたことがあります。

 

たとえば、「電気を消して」という時、Kill the light. という時があります。もちろん、Kill以外の表現もありますが、こういうのは英語(もしくは西洋言語?)独特な表現かもしれません。音でもなんでも「消す」という意味で使います。

 

ほかに、Dead、「死ぬ」というのも、This battery is dead. 「この電池切れている」という感じで使います。

 

こういう言葉は、日本やアジア諸国では、縁起が悪い言葉なので一般的には使われないでしょう。例えば、日本では「四」が「死」と同音のため、状況によって「四」でさえ使われるのを忌み嫌います。

 

中国でも、ブルース・リーが自身の映画のタイトルを「死亡遊戯」としたのを、周りが「死」という言葉は縁起が悪いので使うべきではないとアドバイスしたという話もあるようです。

 

こういう死生観は、国の文化の基盤になる宗教や哲学に依存する感じです。アメリカのようなキリスト教文化圏では、死後は天国に行くことになっており、死んだ人は違う国へ旅行に行った、ような感じで理解しています。

 

親族や友人が事故などで死に別れれば悲しいのは、アメリカ人もそうなのですが、気持の切り替え方が、日本人からすると想像を超えることもあります。

 

僕の著書にも書きましたが、2例紹介します。あるアメリカ人女性が、ライオンやトラなどの動物が大好きで、それらを扱っている、動物園に就職しました。彼女にとっては天職です。しかし、残念なことに、ライオンが戯れる拍子に彼女にぶつかって、彼女はそれで亡くなってしまいました。

 

その後、彼女の父親にインタビューで、父親は「本当に大好きな虎やライオンに囲まれて、幸せだったろう。そこで死ねたなら彼女も本望だったと思う」と淡々と答えていました。

 

これくらいなら、わかるかもしれません。もう一つのケースは、何人もの消防士が山火事を消すために山に入ったのですが、火に囲まれて、全員が亡くなってしまいます。その中の一人の母親がインタビューで泣きながらですが最後に、「ひとりじゃなく仲間といっしょに逝けたからさみしくなくてよかった」と言っていました。

 

日本だと、大変悲しい大事故だということで、1週間くらいテレビで、いかに悲惨で周りの家族も涙が枯れるくらい泣いているか、という報道をするところでしょう。また、母親が上のような発言をすれば、「けしからん!不謹慎だ!人の死をなんだと思っておる!」ということで大炎上は必至だと思います。

 

死と生も含めて、言葉のニュアンスや感じ方は、文化、宗教、哲学によってかなり違ってくる、というのが分かると思います。