これは、物理的な洞察ということで、実際の計算などはしていませんが、こういう見方も楽しんでいただけるとありがたいです。

 

ここ数年、陸上のウサイン・ボルト選手の走り方が特徴的なので、しばらく他の選手の走りと比べていました。彼の身体的特徴などが大きな慣性を生み、ゴール近くでも速度が落ちない走りが一つの特長のように思います。

 

まず、慣性とは何でしょうか。物理では慣性が大きければ大きいほど、加速しづらいという特性があります。つまり、直線運動において、慣性にあたるのが、質量です。

 

例えば、普通乗用車とトレーラーがあるとします。トレーラーの方が質量があるので、慣性が大きいと言えます。また、経験的に、大きなトレーラーの方が中々加速できず、軽い乗用車に比べて、ある一定の速度に達するのに時間がかかります。

 

しかし、一方で、慣性の大きいトレーラーは、乗用車に比べて減速しずらいのも特徴です。トレーラーの制動距離の方がはるかに長いのは、ご存知の通りだと思います。(ここでは出力が大体同じとして一般化しているのでご了承を)

 

実は、回転運動でも独立して慣性があって、これを慣性モーメントと言います。これは、質量以外に、形や質量の分布によります。例えば、車輪で外側の「ふち」に質量が集まっている方が慣性モーメントが大きいです。また、その半径が大きければ大きいほど慣性モーメントも大きくなります。

 

つまり、回転軸から遠くに重いものが付いているほど、回転運動で加速しづらく、また、減速もしづらくなります。また、直線運動と回転運動の慣性は、単純に足し算して、運動を記述できます。

 

ここで、ボルトの走りに戻りましょう。彼は、2016年時点で公式に表示されている体重も他の選手よりも多く、90キロを超えています。つまり、慣性が他の選手より大きいということです。

 

また、彼の腕の筋骨の大きさと長さ、こぶしの大きさは、腕の回転運動における慣性モーメントが、明らかに他の選手より大きいことを示しています。これは、脚と足に関連した回転運動でも同様と思われます。

 

上の物理の理論から、言えるのは、ボルトの走りは大きな慣性と慣性モーメントによって、加速は遅くなりがちですが(スタートダッシュでは、ほとんどのレースで遅れています)、一方で、なかなか減速しなく、ゴールを駆け抜けることができるのも特徴です。

 

それだけの瞬発力が備わっているのも条件ですし、もちろん、人体の運動そのものは複雑で、柔軟性、反応など多岐にわたるので、単純には言えませんが、100m走を慣性の大きさという視点で見るのも面白いと思います。

 

追記:

これを書いた後も、しばらく、彼の走り方を見たのですが、慣性以外にも共鳴をうまく使っているような感じもしました。共鳴で有名な現象は、ブランコをこぐという操作です。足を前に後ろに動かし、うまくブランコの振動に合わせながら振幅を大きくする行為です。ボルトも、腕の振りと体の動きがうまく共鳴するように合わせているように見えます。