ヴィーセンタールの『ひまわり』



――「和解」と、{「謝罪」と「赦し」}の違いとは その2――



 



先ず、第一部ではヴィーセンタール自身の強制収容所での体験が述べられています。



ある日、仕事をしている間に、看護師に「あなたはユダヤ人か」と聞かれ、「そうだ」と答えると、近くの病院に連れて行かれる。そこで「カール」という名の若いナチスの将校の病室に導かれる。カールは顔全体を包帯で覆わなくてはならないほどの酷い怪我をしており、瀕死の状態でヴィーセンタールに話をする。



 



カールがロシアに派遣されていた時、ある街の広場に連れて来られた200人余りのユダヤ人を迎えることになる。この200人以上の人々を広場の前の建物に押し込み、火を付けて焼き殺すよう命令されたのである。その上、熱さに耐えられず、窓から飛び降りるユダヤ人たちを射殺するようにも命じられ、カールたちはそれに従った。その後、クリミアに移動しそこで怪我をしてこの病院に送られたということだった。



 



カールは、ヴィーセンタールに「赦し」を請う。赦して貰えなければ、心乱れるままに死ぬことになる。(英語では、「die in peace」することが出来ないという表現なのですが、上手く日本語になりません。)



 



ヴィーセンタールは、カールの願いに何と言って答えたら良いのか分らず、病室を後にする。



 



何年か経って、ヴィーセンタールはカールの母親がシュトゥットガルトに住んでいることを知り、母親を訪ねる。カールのしたことを母親に告げるべきかどうかもヴィーセンタールとしては決めなくてはならない。母親からは息子の若き日のことを聞き、両親の反対にもかかわらずナチスの一員になったことも知る。結局、ヴィーセンタールは、カールの罪については母親に語ることなく、その場を去る。



 



その後、病院での自分の行動が正しかったのかどうか、母親とのやり取りもそれで良かったのか悩むことになる。ヴィーセンタール自身は、カールを赦せるのは、カールによって苦しめられた人だけだという結論に達する。しかし、それですべてが終わったのではなく、ヴィーセンタールは、この結論で良かったのか、多くの人の意見を聞きたいと考え、「シンポジウム」と名付けた第二部に、寄稿を求めることになる。強制収容所で運命を共にしたかつての仲間や、神学者、哲学者、政治家等々の意見である。



 



「シンポジウム」に寄せられた考え方のいくつかは次回に紹介したいと思います。



 



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