こんにちは、松本です。
■はじめに
本日は悲しい報告をさせていただきます。
広島の電動車椅子サッカーに長年かかわり、
廣島マインツを創設し発展させてきた、
廣島マインツ背番号8番の佐田尾俊輔選手が
2014年7月19日午前8時20分ごろ、入院しておりました病院にて息を引き取りました。
7月1日に誕生日を迎え、33歳でした。
■ここのところ
6月末より体調を崩し、かなり深刻な状態での入院となりました。
病室で、本人が開催を希望していた(らしい)引退式をしました。
もう残された時間が長くないのではと周囲が思う中、
予想していなかったような回復を見せて、
ここ最近は話ができる日も多くありました。
たくさんつけていたピアスがなかなか取れなくて、
CTを撮るのに苦労したみたいです。
あれだけ嫌がっていた呼吸器をがっつりつけられて、
呼吸器慣れた?もう退院してもつけられるよね?と聞くと
「でもつけたくなーい」と言っていました。
お腹が空いた、
退院したら和田党のラーメンが食べたい、
寿司をニクにおごってもらう、
またイタリアン食べに行こう、
など言っていました。
誕生日のときは一緒にお祝いしました。
みんながケーキ残しておいてあげなかったから怒ってました。
金曜日に行くと、「今日プールじゃないの?」と気にしていました。
練習があった次の日は「練習どうだった?」と気にしていました。
テラスハウスのトレンディー展開がどうなったか気にしていました。
HEROと、上戸彩のドラマ録画しといてねって訴えてきました。
そんなかんじで約一か月、
「また土曜日に来るねー」と言っていたのに、その土曜日の早朝に旅立っていきました。
■さいごに
約13年のサッカー人生で広島に3つのチームを創って、この廣島マインツで8年。
たくさんの『大切なこと』や、『大切じゃないけど、大切なこと』を教えてもらいました。
とっつきやすい雰囲気じゃないのに、人を魅了する『何か』を持っていました。
痛いこと、怖いこと、暗いとこ、狭いとこ、顔に水がかかること、病院が嫌いでした。
コーヒー、お酒、おいしいもの、綺麗なおねえさん、そしてサッカーが好きでした。
W杯決勝戦見れてよかったね。
いろんなものに挟まれて、社会でぐるんぐるんに揉まれて、酸いも甘いも内に秘めて
「めんどくさい」と言いながら、痛いも、しんどいも、不安も、弱音も外では見せなかった。
「マインツはほんとにいいチームで、嫌なことはなかった、ぶにとゆきちゃんの大ゲンカ以外は(笑)」
って、引退後にさた家で二人で思い出話したときに言ってたね(笑)
本当に、大きくて、重くて、大切なものを失ったけど、
さたちゃんが廣島マインツ創設のときに込めた想いを、
これからもチームの中心に据えていこうと思います。
さたちゃんが嫌いだったすべてのものから解放されていますように。
心からご冥福をお祈りしています。
ありがとう、
ありがとう、
ありがとう。
廣島マインツ一同
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昨年の全国大会が終わってから、日本協会登録選手からの引退を発表し、
その際に他チームの選手・関係者のみなさんにビデオメッセージや寄せ書きコメントをいただき、
編集して、本人にも渡すことができました、ありがとうございました。
また、噂で体調不良を聞き、心配してくださっていたみなさん、ありがとうございました。




