2024年9月13日 金曜日 晴れ

今朝の比叡山です。

今日は年に一度の人間ドックです。朝食抜きです。

私と妻と義母の3人で毎年受診します。

地下鉄で病院へ。8時過ぎに到着、受付を済ませ、検診です。

不織布マスク着用です。マスクすると暑いなー。

胃カメラも無事終了。メタボが進んでいる。大動脈瘤は微妙です。

ドックも終わり帰宅して3人でお昼です。

午後の比叡山です。

今日も猛暑です。もうすぐお彼岸ですが、お盆前のような暑さです。

久しぶりに、ちょっとこのへんで洛中散歩の続きでも。

先日の細見美術館からに二条通を西へ130mほど進むと、東大路二条の東南角に「妙傳寺」があります。

「日蓮宗本山 法鏡山妙傳寺」

山門です。

東大路二条の東南角です。

妙傳寺の縁起です。

日蓮宗本山

正法華院法鏡山 妙傳寺縁起

 当山は円教院日意上人によって文明九年(1477)に開創された日蓮宗の本山で京都八本山の一つに数えられています。

始め豪商・妙善(桑名家)の帰依を受けて京都一条尻切屋町に堂塔伽藍が建立されました。(第一の妙傳寺)開創に当たり日意上人は、師の日朝上人と図り宗祖日蓮大聖人の御真骨を分骨泰安し、更に身延影現・神霊七面天女と同木同体の御霊体を安置しました。故に当山は「西之身延・妙傳寺」と称され、総本山身延山・久遠寺への参拝が困難な当時、関西以西の日蓮宗信者はこぞってこの「西之身延・妙傳寺」に参拝したと伝えられています。

その後、天文五年(1536)に起こった天分法難により全山悉く灰燼に帰しますが、同十年(1541)新たに四条西洞院に再建されました。(第二の妙傳寺)

更に天正十九年(1591)第六世慈眼院日恵上人の代、関白豊臣秀吉により京極二条に移転を命ぜられます。(第三の妙傳寺)この時、一条家、四条家の菩提寺となり寺勢大いに興隆したことから日恵上人は中興の祖と仰がれています。

第十四世には勇師法縁の縁祖である法性院日勇上人が猊座に就かれます。日勇上人は学徳高く、後水尾天皇の后(中宮)・東福門院より金門袈裟を賜ります。更に山科後に護国寺を開山し、子弟教育のため山科檀林を開かれました。また第十六世には通師法縁の縁祖・寂遠院日通上人が歴世に就かれます。

しかしその後宝永五年(1708)、宝永の大火により再び全山が灰燼に帰しますが、第二十九世住心院日義上人は現在の地に再興し(第四の妙傳寺)、第三十五世了遠院日勤上人は説法一万座に及び現在の本堂を建立されました。

創建以来、度重なる移転と焼失を繰り返しながらも身延門流の直系、京都の触頭として本山の威容を保ち現在に至っています。

(現地妙傳寺縁起より)

今日はこのへんで。

しばらくして夕食です。

今日の夕食です。

551宝来のお弁当をテイクアウトしました。

天津飯です。

堅焼きそばです。

サラダです。

美味しい。

今日も美味しくいただきました。

鴨川のほとりで、でした。

それでは、ごきげんよう。