2024年4月21日 日曜日 曇りのち雨
今朝の比叡山です。
朝食を済ませ、ゆっくり。
花粉がちょっとましそうなんで、久し振りに妻とデートです。(笑)
地下鉄に乗って大丸京都店へ。
先ずは、イノダコーヒーで「チョコレートパフェ」を食べました。
次に旅行に必要なものを物色します。
私はジャケット、シャツ、帽子を物色、妻もニット、ブラウス、化粧品を物色しましたが、結局、「今持っているのもでええやん」となりました。
デパ地下へ行ってお昼にポールボキューズのパンを買い、夕食に551を買いました。
帰路は雨降ってきました。
帰宅して、お昼を済ませ、ちょっと昼寝です。
午後の比叡山です。
午後は、旅行の準備です。
クレジットカードの枠と旅行保険のチェックです。
ちょっとこのへんで洛中散歩の続きでも。
昨日、八ツ橋の起源については、二つあることを説明しました。
①八ツ橋検校説
京都の八ツ橋製造業者の団体京都八ツ橋商工業協同組合に加盟する14社のうち、「八橋検校」の説を支持するのが聖護院八ツ橋総本店・井筒八ッ橋本舗など6社です。
②「伊勢物語」の「三河国八ツ橋」の説を支持するのが本家西尾八ッ橋・本家八ッ橋の2社です。
上記のいずれの説でも元禄年間に原型が作られ、現在に近い形になったのは享保年間としている点は共通しています。元々の発売時期も判然としませんが、近代の歴史を見てみましょ。
・1689年(元禄2年)
聖護院の森で菓子を発売
・1879年(明治10年):
京都に鉄道が通ると西尾松太郎が京都駅で土産物として販売を開始
・1900年(明治33年):
西尾松太郎から事業を引き継いだ息子の西尾為治が、パリ万国博覧会に八ツ橋を出品して銀賞を受賞
・1915年(大正4年):
大正天皇即位の祝賀行事で京都を訪れた人々が買い求めたことで全国的に有名になったとされる
・1926年(大正15年):
京都府内務部が発行した京都名物紹介本『京の華』があり、その中で八ツ橋の起源について「西尾為治の祖先が三河の僧侶から製法を教わって、1689年(元禄2年)に聖護院の森で販売を始めた」との記述がありますが、それ以上の詳しいことは書かれておらず真偽についても不明です。
・1960年代
「生八ツ橋」が考案され、次いで美十が生八ツ橋で餡を包む商品を考案したとされます。
続きは次回に、今日はこのへんで。
しばらくして夕食です。
今日の夕食です。
551の肉団子と野菜炒めです、
肉団子の甘酢あんかけです。ニンニクが減ってたべやすい。京都人は匂いの強いもの苦手です。美味しいです。
野菜炒めです。ウスターソースでいただきます。
今日も美味しく頂きました。
鴨川のほとりで、でした。
それでは、ごきげんよう。