2024年3月9日 土曜日 晴れ後雪

今朝の比叡山です。

晴れてますが寒いです。

朝食を済ませ、ゆっくり。

いつものようにスーパーへ食料の調達です。寒いんで久しぶりにお好み焼きでも食べたい気分です。今日も鱈を買ったが、最近魚がマンネリ気味です。

帰りに天気が激変して、吹雪です。

今日は息子夫婦と孫が来ます。現在息子夫婦が住宅購入を検討中です。モデルハウスと物件を見てから来るそうです。

帰宅途中に、下鴨の御菓子司 美玉屋さんで黒蜜団子をかう。午前中に行かないと売り切れる。今日は、買えました。

帰宅してお昼を済ませ、ちょっと昼寝です。

午後の比叡山です。

息子たちが来るのが遅くなったので、おやつのかりんとうを全部食べてしまう。

息子夫婦と孫が来ました。孫娘は9か月、歯が生えそうです。よく笑うようになりました。孫は可愛いいですね。息子も見てきた物件を気に入ったようです。早く家を決めて落ち着いてほしいですな。子供は3人いて息子が一番下で子供の住宅購入もこれが最後です。これが終われば気が楽になります。

おやつは、みんなで黒蜜団子です。

10本入りで美味しいので、以前一人で全部食べたら体重が爆増しました。危ないやつです。でも美味しい。息子が来たら、買いましょう。(笑)

ちょっとこのへんで洛中散歩の続きでも。

今日も五大力さんです。今日で最後です。

先日の人食い地蔵の南側の西側に「お俊伝兵衛恋情塚」があります。

お俊伝兵衛恋情塚

1738年(元文3)釜座三条の呉服商井筒屋伝兵衛と、先斗町近江屋の抱え遊女お俊が聖護院の森で心中した事件にちなみ、1952年(昭和27)に聖護院の森に有った積善院凖提堂に建立された。
二人の心中事件は近松門左衛門の浄瑠璃「近頃河原達引」で有名になった。
自由参拝のみ、拝観は行なっていない。

(京都市観光協会:京都観光NAVIより)

浄瑠璃 「近頃河原の達引」 お俊伝兵衛恋情塚
境内には、浄瑠璃「近頃河原の達引」にちなんだお俊伝兵衛恋情塚がある。
昭和27年(1952)に義太夫節の名人 豊竹山城少掾や歌舞伎役者の中村鴈治郎片岡仁左衛門らが発起人となって建立されたものである。
お俊伝兵衛恋情塚の石碑には、「近頃河原の達引」堀川猿廻しの段の最期の一節が刻まれている。
「(詞もこの世で聞き納め、心の内の暇乞ひ 明日の噂と形振り(なりふり)を)
やつす、姿の女夫連れ、名を絵草紙に聖護院、森をあてどに辿り行く」
.

近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)
元禄16年(1703)のお俊と米屋庄兵衛の四条河原の心中、あるいは元文3年(1738)井筒屋伝兵衛と遊女おしゅんの聖護院の森での心中が元になったとされている。
これに四条河原で起きた刃傷沙汰の喧嘩、親孝行を表彰された堀川の猿廻しの話題をからめて脚色した、上中下三巻本の世話物である。
作者については、為川宗輔、筒井判二、奈河七五三助の合作とも、中村重助とも言われているが、詳細は不明である。
鈴木多美氏は、外題について、現在は「ちかごろ」を読まれるが、昔は「ちかいころ」と読み、
二つの心中の内、元禄年間でなく元文年間の「近い頃」の心中話だと言いたかったのではないかとしている。

演目について詳しくは文楽のポータルサイトで、上のリンクをクリックしてください。

今日はこのへんで。

しばらくして夕食です。

今日の夕食です。

蜆のスープ、冷しゃぶサラダ、焼きそばです。

おやつ食べすぎたんで軽めです。(笑)

今日も美味しく頂きました。

鴨川のほとりで、でした。

それでは、ごきげんよう。