2023年12月23日 土曜日 晴れ

今朝もよう冷えてます。

今朝の比叡山です。

朝食を済ませ、ゆっくり。

いつもの様にスーパーへ食料の調達です。寒いんで2番目の娘と孫を迎えに行ってからスーパーへ。今日はシチューとグラタンが食べたい気分です。

孫とスーパーをうろうろ。アンパンマンの蒸しパンがいいらしい。

帰宅して、みんなでお昼です。

2番目の娘は、牡蠣のパスタが食べたかったらしい。美味しい。

午後の比叡山です。

午後は娘の体調が悪いらしく、妻も忙しいので、私が孫娘のおもりです。(笑)

いっしょにYoutube を観ました。

夕方の比叡山です。

ちょっとこのへんで洛中散歩の続きでも。

今日も金戒光明寺の墓地ですが、お墓ではありません。

墓地の中央の坂を上ってゆくと三重塔があります。

 

金戒光明寺 三重塔

〒606-8331 京都府京都市左京区黒谷町121 金戒光明寺内

案内版です。

案内版:

三重塔(国・重要文化財)

 この塔は、寛永十年(1633)に伊丹重好(豊永宗如堅斉)が以前に仕えていた二代将軍徳川秀忠公の菩提を弔う為に建立した。当の内部には文殊菩薩が祀られていたが、平成二十年四月御影堂左脇壇に遷座された。

 現在は本尊として文殊菩薩のご分身(浄鏡)をお祀りし左右の脇壇には、重好公とその両親、当山二十八世潮呑上人の木造が安置されている。

 御影堂に遷座された文殊菩薩は、運慶作と伝えられ善財童子・優填王・最勝老人・仏陀波利三蔵を従えた渡海文殊形式で日本三文殊随一として信仰を集めている。是非、御影堂へご参拝ください。

                     金戒光明寺

(現地説明版より)

 

重要文化財(建造物)

名称    :    金戒光明寺三重塔
ふりがな    :    こんかいこうみょうじさんじゅうのとう
員数    :    1基
種別    :    近世以前/寺院
時代    :    江戸前期
年代    :    寛永11
西暦    :    1634
構造及び形式等    :    三間三重塔婆、本瓦葺
指定番号    :    02037
国宝・重文区分    :    重要文化財
重文指定年月日    :    1977.06.27(昭和52.06.27)
解説文:
金戒光明寺は通称黒谷と呼ばれ、三重塔は墓地の背後に立つ。塔は正統的な和様の手法になるもので、材料、工法とも優秀である。 構造や様式手法は江戸時代の特徴をよくあらわす。「建塔記」が残されていて、建立の由緒が分かる。 江戸初期の塔の基準作といえる。

(文化庁:国指定文化財等データベースより)

文殊菩薩と三重の塔
古く、くろ谷の西にあった中山文殊が、江戸時代初期徳川秀忠公菩提の為に建立の三重の塔に安置されていたが、平成20年に御影堂に遷座された。この本尊の文殊菩薩と脇士の像は運慶の作。(金戒光明寺HPより)

今日はこのへんで。

しばらくして夕食です。

カツ丼、お味噌汁、ポテト、温野菜、小鉢です。

カツ丼です。めったに食べません。孫メニューです。(笑)

孫の好きなポテトとお味噌汁です。

これは嫌いな山芋の短冊と温野菜です。

食後、娘と孫を自動車で家まで送りました。

今日も美味しく頂きました。

鴨川のほとりで、でした。

それでは、ごきげんよう。