2021年10月23日 土曜日 朝から寒いな。

今朝の比叡山です。

朝食を済ませ、ちょっとゆっくり。

いつものようにスーパーへ食料の調達です。

コロナの緊急事態も解除され、スーパーも人が減りました。

寒くなったんで、シチューやスープなどの暖かいものがいいです。

帰宅すると、ガレージが落葉で大変です。

木枯らし1号が吹いたらしいです。

お昼をすませゆっくり、炬燵でウトウトする。

午後の比叡山です。

自転車でホームセンターへ、スピーカーを固定するネジを買いに行く。

風が強いんでダウンを着たらちょっと暑かった。

帰り道の賀茂大橋から賀茂川の飛び石を見るとコロナ前の人出が戻ったようです。

出町のふたばも、長い行列ができてました。3重になってます。

帰宅後、ガレージと玄関を掃除し、バラと庭木に水遣りする。

黒バラの代表、パパメイアンが咲いています。

今日のバラです。

今日の庭です。秋も深まっています。

ちょっとこのへんで、昨日の続きです。

杉本家住宅の西側の路地があります。これが「膏薬辻子」です。

膏薬辻子(膏薬図子)

〒600-8471 京都市下京区新釜座町731

四条通は祇園祭の「郭巨山」の町会所が入口です。

タイムズのガレージに駒札があります。

駒札:

膏薬辻子(こうやくのずし)

 膏薬辻子とは、四条通から中ほどで折れ曲がり綾小路通までを走るこの細い道の名称である。また、膏薬辻子を挟む地域が、明治二年(1869年)に新釜座町と命名されるまでは、地域の名称としても用いられていた。この地域は、皇后を何代も輩出した大納言藤原公任(ふじわらのきんとう)の邸宅である四条宮のあった場所である。

 そして。この地域において、踊念仏で知られ、後に西光寺(現在の六波羅蜜寺)を創建した空也上人が、天慶元年(938年)、この地に道場を設けて念仏修行を始めた。

 天慶三年(940年)に、天慶の乱により戦死した平将門の首が今日の町で晒されて以後、全国で天変地異が相次ぎ、平将門の怨念の仕業とされたため、各地で平将門の霊を鎮めるために首塚が築かれた。

京都でも空也上人が、道場の一角に塚(現在の神田神宮)を建てて供養したことから、空也供養の道場と呼ばれた。そして、空也供養の発音が訛り、細い道を意味する辻子と合わせて、膏薬辻子と呼ばれるようになったとされている。

                                    京都市

京都神田明神です。

綾小路通です。

今日は、このへんで。

今日の夕食です。

鮭のチャンチャン焼き柚子味噌です。バターと柚子味噌で風味を付けます。

美味しいですよ。

今日も美味しくいただきました。

鴨川のほとりで、でした。

それでは、ごきげんよう。