2021年5月25日 火曜日 雨も止んでます。

今朝の比叡山です。 今日は晴れるらしい。

朝食を食べゆっくり。

昨日張った障子をオーディオセットの裏に戻す。

障子を破らないように結構苦労した。オーディオをセットする。

今日届いたアメリカ製のメトロ―ノーム。関西は60hzだからアメリカの家電は使えます。

お昼をすませ、午後は庭と花壇の整理です。

午後の比叡山です。

バラが散って庭が大変です。

掃除しました。雑草と落葉、枯葉やゼニ苔も取り除きます。

今日のバラです。

つるバラとクレマチスです。

オオタニワタリと一ッ葉です。枯葉を整理しました。

ちょとこのへんで、昨日の続きです。

平安宮内裏弘徽殿跡を出て新出水通を西へ行くとすぐに土屋町通です。

土屋町通を30mほど上がると西側に「平安宮 凝華舎(梅壺)・飛香舎(藤壺)跡」の案内板があります。

 

平安宮 凝華舎(梅壺)・飛香舎(藤壺)跡

〒602-8169 京都市上京区土屋町通出水下る西神明町322

北川さんという民家の南側に説明版があります。

南向きです。突き当りの通りが新出水通です。

案内板です。

平安宮内裏凝華舎(ぎょうかしゃ)(梅壺)跡・飛香舎(ひぎょうしゃ)(藤壺)跡

案内板

内裏の後宮七殿五舎の一つ。南庭(壺)に紅白の梅を植えていたので梅壺と呼ばれた。東宮(とうぐう)(皇太子)の居所に使われたこともある。 母屋は東西五間(けん)、南北二間で四方に庇(ひさし)、東西は孫庇(まごひさし)を持ち、周囲は簀子(すのこ)がめぐっていた。 梅壺女御(にようご)としては円融天皇妃で一条天皇生母の藤原詮子(せんこ)(東三条院、藤原道長の姉)が有名。『源氏物語』では弘徽殿大后(こきでんたいごう)、秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)がいる。 梅壺の南が飛香舎。壺に藤を植えていたので藤壺と呼ばれた。母屋は東西五間、南北二間。東側簀子から天皇の居所の清涼殿(せいりょうでん)に行くことができ、後宮の中でも弘徽殿とともに重要な位置を占めた。『源氏物語』執筆当初の藤壺女御は、紫式部が仕えた一条天皇中宮の藤原彰子(しょうこ)(上東門院(じょうとうもんいん)、道長の娘)であり、『源氏物語』での藤壺(桐壺帝の女御、後に中宮)が重要人物であることに影響を与えている。 光源氏は、亡き母に似ている継母(けいぼ)の藤壺への恋慕から、里に下がっていた藤壺に逢瀬(おうせ)を迫り、その結果、男児(冷泉帝(れいぜいてい))が誕生する。
                             平成20年3月 京都市

                                (出典:ウキペディア)

 

蛇足ですが、「後宮」について
 [平安宮内裏] の中で一番華やかなのは帝の妻たちが住む後宮です。後宮とは帝の住む[清涼殿] の後ろ側にあるハーレムのことです。清涼殿にいる帝は、昼間は妻のいる後宮に渡って行き、夜は後宮から妻を呼び寄せるわけです。
 平安宮内裏には七殿五舎(しちでんごしゃ)の後宮があります。
七殿(承香殿、弘徽殿、登華殿、貞観殿、宣耀殿、麗景殿、常寧殿):赤丸
五舎(飛香舎、凝花舎、襲芳舎、昭陽舎、淑景舎):青丸

七殿の方が五舎よりも敷地が少し広くて格が上です。

さて、五舎にはそれぞれ次のような素敵なニックネームがついています。
藤壺、梅壺、雷鳴壺、梨壺、桐壺これは各舎の庭にそれぞれ藤の木、梅の木、霹靂の木、梨の木、桐の木があったことによります(霹靂というのは落雷した木です)。
そしてこれらのニックネームがそのまま妻たちのニックネームとなったわけです。
これらのうち、飛香舎(藤壺)と凝花舎(梅壺)は清涼殿のすぐ北にあり、清涼殿と廊下で直接つながっています。藤壺も梅壺[→絵合] も皇族の娘で身分が高いため清涼殿に近いところに部屋をもらったと思われます。(出典:「西陣に住んでいます」)

今日はこのへんで。

夕方の比叡山です。

今日の夕食です。

蛸の酢の物、鯖の塩焼き、アサリのお味噌汁、エビフライです。

蛸と胡瓜の酢の物です。お酢は西賀茂の「蔵元 中野商店」さんの寿酢です。

まろやかでコクがあって美味しいですよ。一ランク上になります。

アサリのお味噌汁です。

鯖の塩焼きです。京都では鯖はよく食べます。鯖街道から運ばれてました。

エビフライと蛸のフリット。蛸のフリットはカレー塩でいただきます。

今日もデザートはタラミのヨーグルト・パンナコッタです。

今日も美味しくいただきました。

鴨川のほとりで、でした。

それでは、ごきげんよう。