2021年5月21日 金曜日 昨夜は、よう降りましたな。

今朝の比叡山です。

朝食をすませ、ゆっくり。息子が在宅勤務でいるらしい。

雨で、ガーデニングはできません。

花壇を見に行ったがバラが散ってます。

雨でぬれてるんで、掃除は雨やんで乾いてからです。

障子張でもしよ。残っているオーディオ・セットの後ろです。

逆さ雪見障子になっていて、比叡山が見られます。

外すと比叡山が見えます。朝日が差し込むので閉めたままです。

シートで塞いでおきます。

雪見障子のガラスが自重で壊れました。けっこうガラスが重いです。

建具の木材が経年と日光で弱くなっています。危険です。

雪見障子の中のスライド部分は大丈夫です。

紙を剥がして、掃除しました。ガラスは重く危険なので、外して使用しましょう。

壊れた建具をボンドで補修し、重しをしておきます。クランプまではいらんでしょ。

今日は、ここまでです。

このへんで、昨日の続きです。

平安宮内酒殿跡から、智恵光院通を渡って、新出水通を西へ進みます。

以前に掲載した聚楽第南外濠跡のある松林寺の裏門通を超えてさらに西へ進みます。

裏門通は智恵光院通と浄福寺通の間に南北に走る小さな路で、一条通から下立売通にかけてわずか700mほどしかありません。豊臣秀吉が築き、そしてその後徹底的に破却され、今となってもその全容が明らかになっていない聚楽第。その聚楽第の北門を裏門といい、この門から北へ延びる通りであった裏門通は、新出水通と松林寺の北門に突き当たります。

裏門通から西へ60mほど行くと北側に「平安宮内裏昭陽舎跡」の石碑と案内板があります。

 

平安宮内裏昭陽舎跡

〒602-8177 京都市上京区浄福寺通出水下る東入田村備前町244-2 

北側のガレージの東側に石碑と案内板があります。

石碑です。

昭陽舎は,平安宮(内裏)内の後宮の一つで,南舎・北舎の2棟からなっていた。中庭に梨の木があったことから梨壺とも呼ばれる。この石標は,平安宮内に建っていた昭陽舎の跡を示すものである。  (京都市)

案内板です。

内裏の後宮七殿五舎の一つで、淑景舎の南に位置する。庭に梨を植えたことから梨壺と呼ばれた。建物は南北に二宇並び、南の正舎は東西五間、南北二間の母屋の四方に庇、北に孫庇があって四面に簀子、北舎は東西五間、南北二軒の母屋に東西に庇が付き四面に簀子がめぐっていた。
10世紀前半に東宮敦良親王(後朱雀天皇)の居所として用いられて以後、東宮御所として使用されるようになった。歴史上の梨壺女御として有名な人は村上天皇中宮の藤原安子である。
10世紀中頃、梨壺の一郭に村上天皇の命で撰和歌所が置かれ、大中臣能宣、清原元輔(清少納言の父)らによって「後撰和歌集」が編纂されたので、編纂者たちを「梨壺の五人」と呼びんだ。    

                平成20年3月    京都市

赤丸の梨壺とあるのが昭陽舎です。

(出典:ウキペディア)

今日は、このへんで。

夕食まで、CDを聴きました。

ドアーズです。

今日の夕食です。

カツカレーとサラダです。

カツカレー時々食べたくなります。

サラダです。

デザートは、「パティスリー 菓欒」の西賀茂チーズです。

上ではママ友のお持たせによくもらいますよ。クリスマスケーキはここでした。

スフレですね。美味しいですよ。

今日も美味しくいただきました。

鴨川のほとりで、でした。

それでは、ごきげんよう。