2021年1月8日 金曜日 今朝は無茶苦茶寒い。氷点下3度です。

朝食をすませ、部屋で冬眠です。ガスストーブとエアコンと置炬燵のトリプル併用です。

今日初めて、ズボン下を履きました。寒すぎるやろ。エアコンを切るとすぐに寒くなる。

今日は、一日中暖かい部屋で過ごすことにしよ。風邪ひいたらコロナでややこしいしな。

今日は、JensenのP8Pでオペラ、管弦楽、オールディーズ、ジャンプ・ブルースなんかを聴いています。P8Pはウエスタンの755Aと並ぶほどの良いスピーカーですよ。

 

プリアンプは、マツオサウンドさんの真空管のアンプです。良い音ですよ。

今聞いているのは、”The Johnny Otis Show / Live At Monterey!”名盤です。

お昼です。今日は寒いんでお善哉です。甘党です。

温まったところで昨日の続きです。

東一条通を松井酒造さんからさらに西へ行くと東一条交差点の手前の北側に「イタリア会館」があります。

 

公益財団法人日本イタリア会館

〒606-8302 京都市左京区吉田牛ノ宮町4

電話:075-761-4356

関西におけるイタリア語・イタリア文化の普及を目的とした公益財団法人である日本イタリア会館は大阪・京都でイタリア語講座を開講しています。

イタリア留学もサポート。「イタリアを知れば、人生はもっと豊かになる!」そうです。

日本イタリア会館は、日伊両国の学術および文化の普及を目的として、イタリア文化セミナー・イタリア語講座・イタリア留学支援活動などを行っています。1969年(昭和44年)に京都大学文学部イタリア文学研究科野上素一教授(当時)を初代理事長として設立。イタリアに関する資料数は7,500点を超え、日本有数です。

沿革
1940年(昭和15年)4月-三井高陽が日本イタリア会館の前身である京都日伊協会に対して会館建設用地として京都市左京区吉田牛の宮町4(現日本イタリア会館所在地)の土地を寄付
1969年(昭和44年)8月-社団法人京都日伊協会の土地を日本イタリア京都会館に寄付
1969年(昭和44年)9月-京都大学文学部イタリア文学研究科野上素一教授(当時)が初代理事長に就任
1974年(昭和47年)4月-会館建屋 竣工
2013年(平成25年)4月-公益財団法人に移行    (出典:ウキペディア)

 

ここから東大路を上がるとすぐに「関西日仏学館」があります。

 

アンスティチュ・フランセ関西 京都(関西日仏学館)

〒606-8301 京都市左京区吉田泉殿町8

電話:075-761-2105

やっぱりどこかオシャレです。中へ入ります。

カフェもやってるようです。

登録有形文化財(建造物)です。

昭和前/1936
鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建,建築面積549㎡
1棟
京都府京都市左京区吉田泉殿町8-8
登録年月日:19980421
財団法人日仏文化協会

20世紀フランスを代表する建築家ペレの弟子メストラレが基本設計にあたる。ペレ流の洗練された柱型と軒線がつくる古典主義的骨格に,要所の曲面が優美さを与える。東大路通に面して建ち,京都大学の諸建築とともに学園街を形成する。(文化遺産オンライン)

このアプローチは、なかなかですな。ありそうでない。

春になったら妻とお茶しに来よ。

沿革

1927年 関西日仏学館 設立
関西日仏学館は、フランス大使を会長とする財団法人「日仏文化協会」を母胎とした京都に根ざした日本とフランスの交流拠点です。1927年に、京都は、東山の懐にある、蹴上げ・九条山に設立されます。

稲畑勝太郎の決定的な役割  関西日仏学館 稲畑勝太郎
さて、話を関西日仏学館設立準備へ戻すと、その財源を十二分に提供したのが、当時首都圏よりも工業生産高がはるかに高かった大阪実業界でした。
大阪商工会議所会頭で貴族院議員だった稲畑勝太郎は、少年時代に京都府からフランスへ留学し、染色技術を取得して成功を収めていた。彼の呼びかけで、新会館設立準備会合が1926年9月29日に催された。そこへ大使クローデルが出席し、協力を要請したのである。

1927年10月22日九条山に開館します。

移転の決断
関西日仏学館 三代目の館長ルイ・マルシャン
九条山は今でも立地的に不便ですが、当時を思うと想像がつくでしょう。「九条山は天国と同じことで、昇るには少し骨が折れるが昇りつくと実にいい」と言われていたが、三代目の館長ルイ・マルシャンが京都帝国大学周辺にある現在の吉田泉殿町の移転を決めます。
希望周辺地は、すでにドイツのゲーテ・インスティチュートがありました。建設地獲得に当たって一向に進展しなかった。「ドイツに貸してフランスに貸さないと問題になる」として、交渉を再開したところ、京都工芸学校(現在の松ヶ崎の京都工芸繊維大学)跡地をドイツと同じく約2030平方メートルを無償で借りうけることに成功しました。後日、それをフランス政府が買い上げました。新館は 1936年5月27日でした。

稲畑勝太郎は在阪商社の稲畑産業の創業者です。庭に胸像が立っています。

庭から京大本部棟を臨む。

私の若い頃の記憶では、フランス、ドイツ、イタリアと3つの会館があったと思います。

ところが今はここにドイツがありません。調べると1986年に鴨川の川端通の近衛通を上がったところに移転したようです。私が学生の頃から10年後です。

今日は、このへんで。

今日の夕食です。

湯豆腐、山芋の梅肉和え、鯖の塩焼き、大根おろしと

王将の餃子と炒飯、自家製の野菜炒めです。

出町の王将は惜しまれつつ昨年で閉店しました。これはどこでテイクアウトしたんやろ?

御薗橋、北大路、鞍馬口の何処やろ? 安定の美味しさです。

デザートは、長女にもらった冬季限定、ラムレーズン入りのメルティーキスです。

美味しけど、これで炬燵で寝落ちしました。

アルコール3.8%って書いてあるけど、どんだけ酒弱いねん!

今日も美味しくいただきました。

鴨川のほとりで、でした。

それでは、ごきげんよう。