2020年11月8日 日曜日 雨あがりました。昨夜は、かなり降ったようです。

朝食を済ませゆっくり。雨はあがったがテンションが上がらんなー。二度寝する。

お昼を済ませ、ブログでもかこかな。

 

応仁の乱の話の続きです。

上立売通の小川角に小川児童公園があります。

北側:上立売通

小川通と上立売通の交差点  喫茶店「かど」があります。

西側:小川通から今出川を望む

小川児童公園の案内版です。

(最近、公園の工事をしているのでこの案内板も変更されてるかも。)

応仁の乱と細川勝元

 戦国時代の幕開けとされる応仁の乱は、応仁元年(1467)に勃発した。正月の御霊の森(現在の御霊神社境内周辺)の戦いに始まり、5月には山名宗全を大将とする西軍と細川勝元を大将とする東軍とが上京を中心に激しい戦いを繰り広げた。西軍・東軍は堀川や小川を挟んで対峙したが、西軍の拠点であった山名宗全の邸宅周辺は「西陣」として現在に名を残しているのに対して、東軍の細川勝元の邸宅は、この説明版がある小川児童公園の北側一帯にあったと考えられている。

 応仁の乱後に復興した戦国時代の京都の景観を活写する「上杉本洛中洛外図屏風」では、

上立売通北側・小川通東側に東から眺めた細川氏の邸宅「細川殿(ほそかわどの)」がひときわ大きく絵が画れている。築地塀(ついじべい)に囲まれた邸宅内には、廊下で結ばれた杮葺き(こけれぶき)の建物が軒を連ね、多くの人々が行きかっている。また、南部に広がる池や庭石を配した庭園では紅白の梅の花が咲き誇り、水鳥が遊んでいる。細川勝元が暮らした邸宅の様子を今西も部ことができる情景である。

私の推測では、細川殿の範囲は、

北側:寺之内通

南側:上立売通

西側:油小路通

東側:小川通

で囲まれた範囲と思われます。

寺之内通油小路の角     

西側の油小路から上立売通(南)を望む

寺之内通油小路から堀川を望む 進入禁止の標識が百々橋跡で、向こうが宝鏡寺(人形寺)

小川通油小路(西南角)

西側の油小路から北を望む

小川通上立売(東南角)

東側の小川通から北を望む

かなり広いですね。室町幕府の花の御所と比べても遜色ない感じです。

それより驚くのは、細川邸と山名邸の距離です。直線距離で200mくらいです。

近所同士が戦争してたんですよ! 権力闘争と相続が絡み泥仕合になりました。

今日は、このへんで。

夕方の比叡山です。

 

今日の夕食です。

鰤の照焼、麻婆豆腐、サラダ、白菜とお揚げの炊いたんです。

今日の麻婆豆腐は辛口です。ニラが入っています。

鰤の照焼です。ちょっと甘め、大根おろしといただきます。

サラダです。南瓜、椎茸、ブロッコリーです。

我家のソウルフード、白菜とお揚げさんの炊いたんです。

デザートは、ミスドのポンデリングとアメリカン・コーヒーです。

久しぶりのポンデリング、もちもちでおいしなー。

今日も美味しくいただきました。

鴨川のほとりで、でした。

それでは、ごきげんよう。