2020年6月24日 水曜日 天気であるがちょっと蒸し暑い。

 朝から整形外科へ行く。膝の水を抜かれる痛い。今日は2週間で17ccらしい。ちょっと腫れも引いた。湿布をもらう。一度家へ戻り、自転車で白梅町まで散髪に行く。北野天満宮 大茅の輪くぐりは25日やし、あしたか。今日は人も少ない様子です。散髪は40年以上同じ人です。1時間ほどおしゃべりして終了。ロン毛のカットから今まで同じ人です。私の頭の栄枯盛衰を見てきた? 何も言わずに、椅子に座るだけです。月に1度1時間です。43年間です。

 散髪も終わってスッキリした。一条の大将軍商店街の山田コロッケ店へ行く。

散髪とコロッケはセットです。いつも生で買って家で揚げます。冷凍もできますよ。

今日は、カニクリーム 6個、ビーフコロッケ5個、カレーコロッケ5個をかいました。ビーフコロッケを2個おまけしてもらいました。御夫婦と多分お姑さんの3人でやっておられます。テイクアウトのお弁当もあります。コロッケはどれでも美味しですが、ビーフコロッケ、カレーコロッケ、カニクリークコロッケがベストです。ここも20年以上のお付き合いです。

 これ気になるでしょ。ここも京都一条妖怪ストリート 大将軍商店街の一角です。

昔、平安京では、大極殿の政治の中心は、今の千本丸太町にあり、メインストリートの朱雀大路は、今の千本通でした。都の北の端が一条通でした。そこから北は魑魅魍魎の住む世界と考えられていました。

 宇治拾遺物語巻十二ノ二十四 『一条桟敷屋 鬼ノ事』に妖怪のことが書かれています。

 
 今は昔、一条の桟敷屋敷に、ある男が泊り、
 遊女と共寝をした時のこと。
 夜中ごろになって強い風が吹き、雨も降り出して、
 天候が大荒れになってきた。
 そんな状況で、大路を、
 「諸行無常」
 と唱えながら、行き過ぎる者がある。
 何者だと思い、(しとみ)を少し押して外を見れば、
 身の丈は建物の軒先と同じほどの、馬の頭をした鬼がそこにいたものだから、
 男は恐ろしさに、蔀を戻して奥の方へ入れば、
 鬼が格子戸を開け、顔を差し入れて、
 「よくよくとご覧じろ、ご覧じろよ」
 と言う。
 男は太刀を抜き、踏み入れば斬ると身構えて、
 女は傍らへ置いて待ち構えていると、
 「よくよくとご覧じろよ」
 と言って、鬼は立ち去るのだった。
 百鬼夜行なのだと、恐ろしく思った。
 そうして男は、一条の桟敷屋には二度と泊らなかったという。

 

一條桟敷屋:
いちじょうさじきや。京都の一条にあった、桟敷のようにこしらえた、簡単な家屋。
この話を見ると、桟敷屋というのは、要するに売春宿のことみたいですね。金を払って利用する、すてきなラブホテル的な場所だったと思われます。平安時代の、雅なラブホですね。

 さて、この話の「一条桟敷屋」はどこにあったのでしょうか? 

調べてみると、どうやら現在の一条室町付近にあったようです(徒然草50段「応長の頃」参照) いま、一条室町付近はどんなふうになっているのかというと、一条通も室町通もメインストリートではありませんので、住宅地の真ん中って感じです。本田味噌やとらやのcafeがあるあたりです。

かつて一条大路が平安京の北の端であり、その北側の洛外は粗大ごみの廃棄場所であったともいわれています。不要になった大型の家具などを捨てたそうなのですが、それが付喪神となって一条大路を夜行したのではないかとも言われています。

北野界隈今昔

 私の記憶が正しければ、京福電気鉄道北野線(嵐電)は、京都電燈により開業しました。開業当初は北野天満宮の南側にあった北野駅が起点でしたが、今出川通の拡幅工事に伴い、北野白梅町駅が起点となりました。上京警察署も昔は千本今出川にありました。また、京都市電のチンチン電車の北野線があり、北野神社前が終点で、 北野神社の鳥居横に電停がありました。現在は「京都こども文化会館」も廃止になるらしが、ここが北野線の車庫でした。

北野天神さんの前で、嵐電とチンチン電車の北野線が乗り継げるようになっていました。昭和35年頃までだと思います。かすかに記憶に残っています。

昔の嵐電の北野駅です。

昔のチンチン電車の北野駅です。

お昼を食べ休憩して、門掃きえと水撒きです。

今日の比叡山とバラです。

桔梗と萩です。

都忘れと水物です。


もうすぐ夕食ですが、暑いです。

今日の夕食は、山田コロッケ店のコロッケと胡瓜とお雑魚の酢の物です。右奥は、好物の「はれま」さんの野菜昆布です。

左から、カレーコロッケ、ビーフコロッケ、カニクリームコロッケです。

デザートは大黒屋餅本舗さんの懐中汁粉です。右が割ったところです。

お湯を注いでいただきます。(冷水でもOK)

今日も美味しくいただきました。

鴨川のほとりで、でした。

それでは、ごきげんよう。