2020年5月27日水曜日 雨は上がったようです。

 膝が痛いので朝から整形外科へ行く。

膝の水を抜かれた。痛い!今日は、前よりすっと痛いやん!えーん  「なんて日だ!」 

先生によると、前回が45ccで今日は30cc抜いたそうです。 料理のレシピとちゃうぞ。ガーン

 

 擁翠園をご存じですか? 昔は、郵貯の京都貯金事務センターが所有していて、年2回春秋の一般公開もしていました。春にバラを見に行った記憶があります。今は、アークレイ株式会社(昔の第一科学)が所有しており公開はされていないらしい。

擁翠園(ようすいえん)は、鞍馬口通にある池泉回遊式の日本庭園。京都市の文化財に指定されている。(アークレイのホームページで見られますよ。上をクリックしてね。)

 室町幕府第三代将軍足利義満の管領細川満元が、応永年間に金閣寺造営の余材で邸宅を築く。応永33年(1426年)、満元没後、岩栖院という寺に改められる。

慶長15年(1610年)、徳川家康はこの岩栖院を南禅寺に移し、刀装の彫金師後藤長乗にこの地を与える。長乗は後に擁翠園といわれた庭を造営した。庭園は琵琶湖を模し、船倉・名石を配し、後藤藤(フジ)が植えられた。長乗の二男後藤覚乗(勘兵衛)は、加賀藩主前田利常に仕え、寵愛された。擁翠園は利常の資金援助を受けて、小堀遠州によって庭が補作された。また、同じく小堀遠州作の13の窓を持つ「擁翠亭」という小間茶室や、書院も建造された。同茶室は、現在太閤山荘に移築されている。寛文5年(1665年)、一条関白夫人は、晩年、紀州徳川家の浜御殿を移築し、この地に住んだという。(出典: ウィキペディアWikipedia)

アークレイの南側(左)と東側:衣棚通(右) 生垣が昔を偲ばせます。

擁翠園は、北は鞍馬口通、東は衣棚通、西は新町通、南は上御霊前通の一本北の名前のない通りに囲まれています。

 鞍馬口通をぶらり。久しぶりですが、マンションや賃貸が増え様子が変わった。

玄武公園へ行ってみよう。何年ぶりやろか?ここは、わかりにくい。鞍馬口通の衣棚通を下がります(ハウスセゾン鞍馬口が目印)。でもここが一番わかりやすいです。ここだけが、通に名前があります。ほかの入口は、通名がない。地元民しか知らない公園です。昔は、玄武さんのプールと言って古くからプールがありましたが、今は整備されてありません。

子供に人気の懐かしい井戸の汲み上げ用の手押しポンプです。コロナで使用禁止です。

 玄武公園の南側の通りの東隣りに「京都大学学生寄宿舎室町寮」があります。こんなレトロな学生寮が現存する? 昭和17年(1942年)建築、木造二階建、19部屋あり大学院生専用らしい。京大は学生の自治会が強いので改修できないのでは? 熊野寮も良く揉めますな。

通りを東に進むと、室町通に出ます。

北へ上がれば室町通で先日書いた薩長同盟の御花畑屋敷跡に出ます。

今日は、南に下がります。50m程行くと上御霊前通です。ここの角から2軒目が『万や・生谷家住宅」です。登録有形文化財です。通常は入れないので、リンクを見てください。

虫籠窓(むしこまど)の典型的な京町屋です。走り(台所)もお竈(おくど)さんも)懐かしいです。子供の頃の祖母の上立売堀川の家を思い出します。西陣織を生業としていました。

 帰宅して、お昼を食べて休憩です。今日は、テンション低いので、休みです。やれやれ。笑い泣き

今日の比叡山とバラです。

睡蓮も終わりです。ガーベラの蕾です。何色やったかなー?

今日の夕食は、茄子の挽肉詰めとサラダです。妻の茄子は美味しいです。

今日も美味しくいただきました。

鴨川のほとりで、でした。

それでは、ごきげんよう。