僕は“言葉”を信じない。
それが必ずしも『真意』を表現しているものでは無いって事が解っているから。
もちろん僕は元々が人間不信だ。
でも僕が言葉を信じないのはそれだけが理由じゃない。
僕だって理解してる。
言葉は意思の伝達に最も優れたツールだってコトを。
誰しもが言う通り、言葉こそが自分の気持ちを伝え得る事が出来るものだってコトを。
でも僕は同時に解ってるんだ。
自分の意思を言葉に乗せる事がどんなに困難かってコトを。
そして言葉に秘められた本当の真意を知る事がどんなに難しいかってコトを。
僕の好きな考え方に“言霊”って思想がある。
声に出されたコトバには力が宿る。
聴覚によって認知された文字の集合体はそれ自身が実態を持ち、良い言葉は良い影響を。悪い言葉は悪い影響を外界へともたらす。
発されたその言葉の真意が何であれ。
『貴方を愛しています。』
人の気持ちを魅了する魔力に満ちたコトバだと思う。
発せられたそのコトバは魂を持ち、僕の心に突き刺さる。
目に見えない相手の気持ちが形となって僕に伝わり、不安をかき消す。
そんな気持ちになる。
言葉は僕にとって至上の存在と成り得るもの。
でも、輝きは常に危うさを纏っているものだとも思う。
言葉は相手に自分の意思を伝えてくれるものなのは間違いない。
でももし僕が思い悩み
『今は何も話したくない。』
そう言葉を発したとき、相手は何を受け取るんだろう?
自分は信用されていないと感じるんだろうか?
自分が何かしたのかなって嫌な気持ちにさせてしまうんだろうか?
それは僕の真意じゃない。
大切に思っているからこそ、そう発してしまうことがある。
いろいろな要因が重なって、そう発してしまうことがある。
でもその全てを表現できる言葉を選び出す事は、きっと僕には出来ない。
そして相手にも発された言葉から、僕のすべてを汲み取る事は不可能だと思う。
言葉はその絶大なる効力と背中合わせの危うさが漂っているものだと僕は思う。
そして僕が何より許せない事がある。
言葉の魔力を知って、それを利用する人間がいるっていう事だ。
『俺とお前は友達だから、なんでも相談しろよ。』
『貴女の事を愛しているの。』
陽の言葉を手繰り、人の心へとつけ込む。
その真意には利用の目的があるにも関わらず。
でも、多くの人にとって、そして僕にとってもその真意を確認する術は無い。
僕たちはその言葉を受け取り、気持ちを揺り動かされる。
そしてそれは、時として僕たち心を深く傷つける凶器と化す。
認めたくはないが、そういった事に長けた人間が存在してしまっているのが現実だと思う。
それは色んな場所に。
そして僕の近くにも。
でもそういった人ほど、周囲からの評価を得て幸福を手にしている。
僕はそれが許せない。
言葉が拙くて、人の気持ちを不快にするような言葉を発する人がいる。
多くの人が不快感や怒りをあらわにするような出来事にも、僕は怒りを感じない。
それは言葉の危うさ・難しさを理解しているから。
でも言葉の力を悪用し、賢しく人の心へ踏み込む輩には異常なまでの憤りを感じる。
これが周囲の人間が感じる、理解し難い僕のスイッチなんだろう。
残念ながら、他人の発する言葉の真意をすべて理解できるほど僕賢くは無い。
でも言葉と行動の矛盾に気が付かないほど、馬鹿なワケでも無い。
最後にもう一度はっきりさせておきたい事。
それは僕には言葉の可能性や価値を否定をする気は全く無いってコト。
むしろ言葉に対して心の底から畏敬の念を抱いている。
だからこそ、言葉に対して不誠実な人間が許せない。
言葉は人間に与えられた至上のギフトであり、過ぎた産物でもある。
これが僕の思想。
だから、僕は言葉を信じないのである。
