2024年1月2日午後5時47分ごろ、羽田空港で大きな航空機事故がありました。札幌/新千歳発東京/羽田行き日本航空516便(以下、日航機A)と海上保安庁の固定翼機(以下、海保機)が羽田空港C滑走路上で衝突し、海保機に乗っていた6名のうち5名が亡くなり、日航機でも複数のけが人が出て機体は双方とも全損する大惨事となりました。年末年始のUターンラッシュに加え、事故前日1月1日には北陸地方で強い地震が発生し運休となった新幹線の乗客の受け皿として羽田と小松を結ぶ臨時便が設定されるなど特に交通量が多くなっていた最中に起こった今回の事故。衝突された海保機は1月1日の地震の被災地に物資を運ぶ任務を行なっていました。あれから数日が経過し、様々な報道が取り沙汰される中、私の中である仮説が出てきました。
まずここから先の話は全て私の憶測であることを断っておきます。
また、この記事は誰かに責任を負わせることを目的とするものではありません。
詳細な事故原因は運輸安全委員会、フランス航空事故調査局およびエアバスによる調査チームが調査中です。詳しい事故の状況や事故原因は調査結果をお待ちください。
先に申しあげたとおり、ここから先の話は全て私の憶測ですので、絶対に転載しないでください。万が一転載されていることが判明した場合は当方にてしかるべき対応をさせていただきます。
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事故は日が暮れ暗くなった時間に発生しました。滑走路上にいた出発機に着陸進入中の到着機が衝突する事故は1991年にロサンゼルス国際空港でも発生しています。ロサンゼルス空港地上衝突事故です。この事故では管制官が滑走路上で離陸の許可を待っている出発機の存在を失念し、到着機に着陸許可を出してしまったことで発生しました。また出発機が小型のプロペラ機で航空機の灯火が滑走路の灯火に紛れ、周囲も暗くなっていたために着陸機のパイロットは滑走路上に別の航空機がいることを認識できませんでした。
今回の羽田空港での事故もこれと同じような状況で、同じように不適切な管制指示があったのではと思っていました。しかしそれはすぐに否定されることになります。国土交通省が公表した管制記録には日航機の着陸を許可する交信があった一方、海保機は滑走路手前で待機するよう指示が出ていました。実際の音声記録でも海保機に対し滑走路に入ることを許可する交信はありませんでした。また日航機のパイロットによれば着陸許可を受け、復唱のうえ通常通り着陸操作を行なったとのことですが、確かに交信記録でも着陸許可を受けた日航機のパイロットが復唱する様子が記録されていました。対して海保機では唯一生還した機長の話として「離陸許可を受けた」という話があり、海保機のパイロットが何らかの理由で認識を誤ったということがわかりました。
では海保機のパイロットは何をもって離陸許可を受けたと認識したのか。そのヒントとなりそうなのが管制から日本航空131便(以下、日航機B)に対して出された滑走路進入の許可です。
日航機Bは羽田発伊丹行きの便で、事故が起きた滑走路とは別のD滑走路から離陸する便です。羽田空港では出発・到着方面によって使用滑走路が分けられており、この日は北風運用で西(・南)からの到着便にA滑走路、北からの到着便にC滑走路が割り当てられる一方、西(・南)への出発便はD滑走路、北への出発便はC滑走路が割り当てられます。原則として1本の滑走路につき管制官1人つきますが、運用上の制約のため1人の管制官が2本の滑走路の離着陸を管理する場合もあります。羽田空港でも北風運用時、C滑走路の到着便とD滑走路の出発便は動線が交差するため、C・D滑走路とも同じ管制官、同じ周波数で交信が行われています。
当時は日航機AがD滑走路上空を通過後に日航機Bを出そうとしていたと考えられますが、日航機Bに出された滑走路進入許可を海保機のパイロットが自機への指示だと誤認したのではないかと思われます。そして滑走路上で約40秒停止しています。しかし滑走路に入っても一向に離陸許可が出ないため実はすでに離陸許可を受けたのではと思い機長がエンジン出力を上げた瞬間に日航機Aが後ろから追突する形で衝突したのではないか。これが現時点の報道の内容をもとにした私の推測です。
ではこのような事故を防ぐにはどうすればいいのか。結論から言うとセーフティーファーストの徹底が肝になると思います。認識に不安が生じたのなら管制官に確認する。これさえあれば管制官も滑走路上の海保機の存在を認識できたかもしれません。
今後調査が進み、このような痛ましい悲劇が繰り返されないことを切に願います。
最後になりましたが、殉職された海上保安庁の職員の方々のご冥福をお祈り申し上げます。
