遠くにいるということ | hitorigoto 4

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思ったことをただ書くだけです。


日本からの出張者に対する現地での色々なサポートも現地駐在員の俺の仕事の一つだが、出張者の身内の突然の不幸に対するサポートは、時には、やりきれなくなることがある。


先日、こんなことがあった。


町から遠くの工場に一週間の予定で出張中の後輩から、突然、携帯に電話があった。


「母親が危篤なんです、至急帰国したいので、車と飛行機の手配をお願いします」


どんなに早くても、夜遅い時間の飛行機しかない、それに乗れたとしても、日本に到着するのは、翌日の夜、日本の空港に到着してからの彼の足も確保する必要がある、


ともかく、それまでは、お母様に頑張って欲しい、、、


そう願いながらも、目先の問題は、彼を空港まで送り届ける車の手配だ。


事務所から車を向かわせても、彼を拾えるのは、約三時間後、そのままとんぼ返りして、空港まで向かわせても、計八時間はかかる、八時間ぶっ通しで一人の運転手に運転させるのも、その運転手の負担を考えると危ない、


では、途中で、運転手をバトンタッチさせよう、


しかし、そんな時間もない、、、、でもやるしかないだろ。


ともかく、その晩の飛行機の手配は済み、途中の運転手のバトンタッチにも成功し、なんとか彼を空港に送り届けることにも成功した。


しかし、


彼から電話が入った。


「色々とありがとうございました、無事に空港に着くことも出来ました、、、しかし、先ほど日本から電話があり、母が亡くなったとの連絡を受けたので、日本側の手配は不要です、、、、時間に余裕が出来たので、僕自身でやりますから」


時間に余裕が出来たとは、、、一刻も時を争う必要がなくなったということ。


彼は、お葬式には何とか出れたのだが、結局、お母様の最期に立ち会うことは出来なかった。


海外に出ていて最大の難しさは、本国での突然の不幸には、すぐには対応できないことだ。


その逆もしかり、海外での突然の不幸には、日本にいる者には、その対応には、限界ある。


遠くにいるということは、何かあった時に、パッと対応出来ないということなんだ。


そんなことを、今回のニュージーランド地震のニュースを見ながら、考えてしまった。