『荒野の恩寵』西川信一郎(1916~1999)著 燈火舎出版部
編集発行人 西川弘志(著者の二男)記
〇上記著作発行経緯と発行理由
主な内容は別に記した通りですが、この本の副題は
「ーあるキリスト者の信仰告白ー」
この写真は昭和40年代に撮影したもので、著者は右より2番目
です。右端は二男、左端は長男、左より2番目は三男です。
場所は当時居住していた兵庫県尼崎市崇徳院(町名)のある路
地裏、長屋の玄関前です。当時、著者は長い病苦と貧困の生活
から、神の奇跡的な助けにより、ようやく解放され、次のステ
ップに向かって歩み始めた頃でした。
本文の中に詳細に記されていますが、父のキリスト信仰は、
肺結核で入院中、病床で聴いたラジオ放送(福音ルーテルアワ
ー)より贈られた『新約聖書(文語訳)』をじっくりと読んだ
だことがきっかけとなりました。が、その歩みは通常のキリス
ト教会に通うことによったのではなく、聖書の中の神の言葉、
イエス・キリストの言葉に寄り頼み、ひたすら祈ること、日記
を綴ること、信仰の助けとなる書物を読むことによって慰めを
得、神の助けを経験してきた、生ける神の実証です。
一時、キリスト教会に通ったこともありますが、むしろ、自
らの信仰には合わず、違和感を抱いたゆえに、教会を離れ、
もっぱら無教会キリスト信徒としての歩みを全う致しました。
この著書は、著者が信仰により、苦境の中を神によって助け
られてきたが、神の助けには常に試練が伴い、信仰の荒野をゆ
くような10年でありました。
イエス・キリストを、心から生ける神として信頼し、キリス
ト教会にも牧師にも頼らず、純粋な信仰によって生き抜くとい
うことは並大抵のことではありませんでした。真の神は、試練
を与えることによって、自らを信頼する信徒に、ご自身を現さ
れ、その豊かな恵みと慰めと励ましを与えられることが実証さ
れています。
これを記しているわたしは著者の二男ですが、著者はわたし
をはじめ、子どもたちにはいっさいの信仰教育をしなかったに
もかかわらず、ただひたすら祈り続け、成人してから『新約聖
書』を与えるだけで、息子三人は若い頃から、同じ信仰を持つ
ようになりました。
わたしの場合は、学生時代から、キリスト教会に行く前から
信仰を持つようになり、キリスト教会に所属する信仰生活から
自らキリスト教会を開く信仰生活を継続してきましたが、高齢
に至った現在では、キリスト教会を介した信仰は、無教会信仰
の内村鑑三や父が喝破したように、ついに形式的な信仰で終始
してしまう、ということを感じるようになりました。父の信仰
が正しかったことをわたしもまた実証したいと考えています。
つまり、内村鑑三を師とした父の信仰は、欧米によって日本
へ移植されたような「西洋のキリスト教」ではなく、これこそ
日本人の体質に合致した、日本のキリスト教信仰ではないかと
思うのです。この著書は、それを実証しているような気がしま
う。じっくりとお読みいただいたら幸いです。
『北海道スケッチ紀行ー旅に聖書ー』西川弘志著
この紀行文の大部分は、著者が独身で44歳の夏に北海道の南部
をスケッチを目的に巡った紀行であるが、その地域の自然や観光
地などに関する資料は用いていないため、歴史的、地理的な広が
りはいっさいない。また旅の途上での人との出会いも乏しく、ド
ラマ的なこともない。ただ、個人の旅のささいな出来事の記録の
みであり、紀行文としての面白みはないであろう。
ただ、わたしにしか書けないと特徴として、『新約聖書』の中
の一書簡(手紙)「ヘブル人への手紙」をじっくりと読み、その
解釈や思索した内容を、本文に照らし合わせて記録している。
何故、この手紙を取りげたかというと、この手紙の中には、すべ
ての人にとっての共通した問題、即ち、第一に「死の恐怖や不安」
はどこから生まれ、どうすれば救われるか、という道を説いてい
る。真の神を信じないすべての人の共通点は、生きている間、ど
んなに平気なふりをしていても、いざ自分は死ぬという直前にな
れば、誰もが恐怖で内心震えてしまう、ということである。
しかし、真実の信仰をもっているクリスチャンは、心から「死
ぬことは怖くありません」と告白することができる。それは、死
からよみがえられたイエス・キリストが、死後、信徒は復活して
天国へ入るという確かな希望を与えて下さるからである。
人生の孤独もまたしかり。神を信じないすべての人は孤独であ
るが、「主はいつも共にいてくださる」という信仰をもつキリス
ト者(クリスチャン)は、どんな時にも孤独から解放されている。
このことを中心に、「旅に聖書」では語っている。
2023年9月13日 西川弘志記

