どうも、中村博です。
2年前のブログです。
自信について、
結構丁寧に書いているなあと思います。
良かったら参考に。
その上で、
せっかくなら、
より俯瞰して世界を眺められることに、
向き合っていただきたいと思っていて。
そうすれば、
自分というものの捉え方に変化が生まれて、
より多面的に自分を眺めることもできるっだろうと
思うんです。
それでは、早速ですが、
そもそも、自分ってどこにあるんでしょうか?
自分が認識している自分という存在。
確かに身体はある(ように思っていて)。
感覚があって、視覚、聴覚などの五感によって、
自分の外側の世界を認知している。
感情もあって、何かの出来事に反応する。
そして、いろいろなことについて思考する。
でも、感覚って、電気信号の反応なので、
本当に世界をそのまま見えているのかは、
正直よくわからない。
電気信号を脳で捉えた結果ですから。
既に変換されていますからね。
感情も似たような感じで、
自分の感情って、
嬉しい、楽しい、悲しい、腹が立つ。
とかとかいろいろありますが、
これって、自分の幼少期の頃と、
今では、物事に対する感情の動きは
明らかに違うわけで。
というと、どこかに固定された、
嬉しいがあるわけじゃない。
固定された悲しいがあるわけじゃない。
自分の捉え方(認知)の変化によって、
感情そのものの発露が変化がしてしまう。
思考も同じで、
何かの情報に触れると、自分の思考するプロセスに
明確に作用しているって感じるのでは
ないでしょうか?
わたしの場合で言えば、最近で言えば、
イスラエル、パレスチナ問題について、
各方面から情報をインプットすればするだけ、
思考する形が変わったり、
それぞれの国に対する見方が
全然違って見えてきています。
どこまでも、固定されていない
移ろいやすい存在が、
この「自分」
な訳です。
という、
こんなうつろいやすい自分の
何を信じたらよいんでしょう?
つまり自分ということを
信じてみることなど、
ただの幻想なのです。
自分は
どんどん変わっていってしまう存在として
捉えておくというのは、
大事なポイントだと思っていて。
こうした理解をしておくことで、
自分に自信が持てないことへの
過度の依存から抜け出せる。
自信など持たなくても良い。
それは、どちらにしたって、
持ちようがないんだから。
こうして、
わたしは、自信という言葉の呪縛から、
抜け出せるのではないかな
とは思っています。
参考になれば。