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3月12日 早朝

夜が明けました。

ほとんどの方が余震の恐怖と寒さで寝ていません。
余震も半端でなく、普通ならば大地震かと思うほどの余震です。

私は、昨日の出来事が夢であったら良いなと思いつつ窓に近づきました。

津波の水はほとんど引いていましたが、 未だあちこちで火の手が上がり続けていました。

車は至るところでひっくり返っており、車の上に車、更にその上にまた車といった状況でした。

「やはり夢ではなかったんだなぁ~ 」と一人つぶやき悲しみました。

屋上に上がることが出来ましたので、ドキドキ怖いもの見たさで上がりました。
そこには360度、思った以上の凄まじい光景が目の中に入って来ました。
地震の際、皆が避難した駐車場は数台の車が残っているだけで見事に流されてました。
たしかここに50台は止まっていたはず…
その車のほとんどが700m先の並木に重なるようにひっかかっていました。

その中に、私が乗って来た白いワゴン車もハッキリと見る事が出来ました【写真】。

3月12日 午前7時頃

主催者の方から、「大津波警報は解除されていませんが、どうしても心配な方は急いで戻って下さい」との話がありました。
「但し、何があっても自己責任であることをご了承下さい」とのことで、外に出ることが許されました。

我々もしばらく様子をみてホテルに戻ることにしました。

一夜明かした建物を出ることになるのですが、何故か外に出るのが怖い気持ちでいっぱいでした。
もし、また津波が来たらどうしよう?
途中、死んだ人を発見したらどうしよう?

とはいえ、いつまでもここにいるわけにはいかない。
17時間ぶりに吸った外の空気は潮臭く、まるで漁港にいるかのようでした。
コンクリートの地面は辺り一面砂浜のようです。


とはいえ、外の空気がこんなにも旨いもんなんだと感じました。

昨日の出来事が嘘のようにさわやかな朝でしたが、至るところに車がひっくり返っていたり、本来この場所にあるはずがのがないものがあったりして衝撃的でした。

まずは会場の夢メッセに戻ってみることにしました。
昨日の会場の光景とは、あまりにも違っていました。
3000坪はあろうかという会場は、誰かが掃除をしたかのように、見事に空っぽになっていました【写真】。
100店舗のブースと沢山のお客様で賑わっていた会場はすべて跡形もないほどきれいに流されていました。
どこから流されて来たのでしょうか?
数台の車だけがひっくり返ってありました【写真】。
各ブース、それぞれが思考を凝らした飾り付け、食材、コンロ、鍋…

あの佐世保バーガーの大きな鉄板…

焼き肉たむらの馬鹿デカイ換気扇、そして、13日に予定されていた私とアントキの猪木とのショーが行われるはずの特設ステージ…

何もかもが、すべて跡形もなく、流されていました。
会場には、私の声だけが、こだまするように響いています。

そして、外には…
流された小銭が…
10円玉、50円玉、100円玉、500円玉…
更には1000円札までが…至るところに散らばっています。

おそらく、売上金やつり銭を取る間もなく避難したのでしょう。

実は、私も売上金だけが頭にあり、うっかり用意した4日分のおつりや回収した一万円札を冷蔵庫に入れたまま、取り忘れていたんです。
その額50万円以上…

その他、4日分の麺、チャーシュー、ネギ、紅しょうが、ゴマ、のり…

もちろん、鍋や備品、飾り付けまで…すべて流されてしまいました。

翌日、偶然にも2㎞も離れた場所で冷蔵庫やコンロを発見しましたが、丈夫な扉も取れていて、売り上げやつり銭なんて何処に行ったやら…といった感じです。

また至るところに津波で打ち上げられた魚が転がっていて、今回の津波の凄まじさを感じることが出来ました。

次は、私が乗って来た車を見に行きました。

前述しました通り、私の車白いハイエースは700m程離れた木にひっかかっていました(写真)。
たまたま数百メートルに渡って植えられていた木にひっかかっていましたが、もし、この木がなければ更に遠くに流されていたかもしれません。

幸い、車は発見したものの、津波でうしろのドアが開いたのしょう?
ステージで履く予定だった靴や荷物は流されてしまったようです。荷物も海水に浸かり使い物にならず、ステージで履く予定だった靴は途中ドアが開いて貴重品と共に流されていました。

近くに、オープン仕立てのアウトレットがあります。高級ブランド品も一部流されていたり、玄関もなくなっているので、「どうぞご自由にお持ち帰り下さい」と言った状況でした。

我々はホテルまでの道のりを歩いて行きました。

本来なら20分程の道のりですが、至るところで車や漂流物が道をふさいでいてなかなか前に進めません(写真)。
ショックな話もたくさんあります。
事実をお伝えするために書かせてもらいます。

脇道を入ったところに、トラックと電柱に挟まっている男性を発見しました。

「おじさん、おじさん、大丈夫ですか?」と声をかけましたが、反応がありません。
苦しそうな顔をして、手を握りしめ、死んでいました。
近所の方にお知らせしましたが、110番も繋がらないと諦めていました。

別の場所でも同様でした。
重なりあっていた車の下を覗き込んだら、2人の方が、ぶら下がるように亡くなっていました。

のちに警察が来ましたが、特に何もすることなく帰って行きました。

警察が来ても震災翌日ということで、亡くなった人より生存者の救出が優先ということなのでしょう。
たしかに当然のことです。
とにかく、どこから手をつけたら良いのか分からない状況です。

歩くこと40分、無事にホテルに到着することが出来ました。