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【2】からのつづき

もしやと思い、窓から外を覗きました。

そこには想像を絶する光景がありました。

目の前で車が次々と流されて行く。
遠くには走っている車や人もいるようでした。

あらゆる物が考えられない速度で流されて行く。

津波は我々のビルにも直撃し、下の階は完全に津波が来ているとのことでした。
外は吹雪で前が見えなくなる程、その下を津波が勢いよく流れて行く。

まるで、地獄絵をみるようでした。

楽観的ムードだった避難場所に緊張感が走り、皆の口数も減ってしまいました。
正直、津波をなめていました。
もし津波が来たとしても、足湯に浸かる程度だろうと…たしかに、スマトラ島の津波の映像をテレビで見たことありましたが、あれはもっと大きな地震の際に起こるもんだと考えていました。

前述しましたが、揺れている最中はバランスをとりつつも立っていれたわけですから…

約一時間ほど津波は続きました。
津波が引き始めた頃、あたりは陽が沈み出し、建物内も更に暗くなってきました。
外を覗くと、あちこちで火の手が上がっていました。
何故だか解りませんが、流された車の至るところで火の手が上がり始め、隣の車へ、更には上に被さった車へと燃え移って行きました。
またクラクションもあちらこちらで鳴りっぱなしでした。

更には、近くの火力発電所の燃料タンクも爆発炎上し、まるで映画を見ているようでした。

あとから聞きましたが、海水は電気を通すので、車が発火したり、クラクションが鳴り出したりしたのではないか?とのことでした。
この頃までは、家族とメールのやり取りは出来ていました。
特にmixiやツイッターは繋がりやすく、この事実を実況するように書く事が出来ました。

メールのやり取りの中で、「今日は本店を臨時休業にしたい」という内容がありました。

私は「仙台が地震だからといって、何で東京の店を閉めるんだ!! まして、俺は無事で元気だ!!」と、ある意味怒ったような内容の返信をしましたが、その直後、携帯の充電が切れてしまいました。

実はこの時点では、まさか今回の地震がこれだけ広範囲に被害をもたらしているとは思ってもいませんでした。

ほとんどの方の携帯電池もなくなり始め、電話もメールも繋がらなくなっていましたし、近場にラジオもありませんでしたので、全く情報が入ってきませんでした。
したがって、まだ誰しもが、仙台近辺だけが一番ひどい状態だと思っていたのです。

陽も暮れて、夜になりました。
避難した建物には自家バッテリーがあり、ところどろに10W程度の非常灯が点灯していました。
しかしながら、2~3時間で消えるとのことで、皆の中にも不安が高まってきました。
特に余震が激しく、揺れる度に、悲鳴が上がっていました。

気温も下がり始め、赤ちゃんや小さな子供は泣き始め、赤ちゃんを抱えたお母さんはミルクやオムツの心配で頭がいっぱいの様子でした。

皆で、わずかな水やお菓子を分けあいました。

正直、私は24時間近く何も食べていませんでしたので、わずかなお菓子に救われました。

寒さ対策ですが、ブルーシートやゴミ袋を身体に巻き、ガムテープ等で止めるなどして防寒しました(写真)。

夜も更けた頃、非常灯も消えてしまい、真っ暗になってしまいました。
ところどころに懐中電灯を持った方がいてくれたので、トイレまでは何とか行く事が出来ましたが、トイレタンクもいつ水がなくなるかわからないとのことで、皆さん水分を控えるなどの努力をしていたようです。
夜明けが近づく頃が最も気温が下がり、誰もが震えて夜明けを待ちました。

【4】へつづく