7/8白蛇弁財天→鹿島神社→太平神社→西明寺と参拝し、向かったのはお隣真岡市の長沼八幡宮

御朱印頂きました

夏詣御朱印やってました

鳥居

狛犬


由緒
延暦14(795)年、坂上田村麻呂が東夷征伐に功をなし、その帰途、武運を感謝するため一社を造営し、誉田別尊を奉斎したのが始まりと伝わる。 康平6(1063)年、源頼義が石清水八幡宮を勧請、永保2(1082)年には源頼家が社殿を造営するなど源氏の崇敬厚く、遠征の度に戦勝祈願、寄進がなされた。 元暦年間(1184~5)、小山政光の二男宗政が、当地、長沼庄を拝領して城を構え長沼氏を名乗り、長沼氏の守として鶴岡八幡宮を勧請した。 建久4(1193)年、源頼朝が長沼に宿泊した際、神夢により「加茂社(別雷尊)・春日社(天児屋根尊)の両神を祀れ」の神託を得て両神を勧請、神領五百石が下賜された。 鎌倉御家人、さらに関東八屋形の一として勢力を誇っていた長沼氏の庇護の下、神社も栄えたが、戦乱の文明年間(1469~87)、十二代長沼成宗の時に長沼城落城。神領も没収され衰退する。 江戸時代に入ると幕府から庇護され、慶長9(1604)年、徳川家より御采地十石を賜る。 寛永20(1643)年社頭等修営、元禄10(1697)年社殿を再興し、青銅鳥居を建立。さらに本地堂の建立、二荒山神社・熊野神社の勧請。天明7(1787)年随身門が建立された。 春季例祭には嘉永2(1849)年に始まる永代太々神楽が今もなお奉納され、社頭は大いに賑わう。 また十五夜の秋の例祭には、かつて流鏑馬(やぶさめ)が行なわれていた。

手水舎

随神門
氏子さんが夏祭りの準備をしていました

拝殿

本殿

境内社






神楽殿

不動明王

石仏

少し盛り上がった所が古墳のようです

御神木
西明寺と同様、昨年の同時期に参拝していました
写真を撮った青銅鳥居は確か三の鳥居くらいで、長い参道があります
流鏑馬を行う為、参道が長かったのもありますが、1000年以上の由緒ある神社なので境内も広く神楽など神仏信仰が強く代々受け継がれてきたんでしょうね
1度しか参拝したことがありませんが同じ真岡市の中村八幡宮も長い参道があり、そちらでは今でも年に1度流鏑馬が行われています