8/7群馬県太田市の大光院へ久々に参拝しました

御朱印は書置きでした

吉祥門
大光院正面の大手門は徳川家康の大坂城落城の日当日に落成したため、吉祥門と名づけられたというそうです

手水舎

慶長16年(1611年)3月、徳川家康は徳川一族の繁栄と天下泰平、さらにご先祖の新田義重の追善供養のため菩提寺を建立する計画を立てた。家康は、この問題を芝増上寺の観智国師(かんちこくし)に相談し、菩提寺建立の適地として太田金山南麓が選ばれた。 そして、観智国師の門弟で四哲(してつ)の一人といわれる呑龍上人(どんりゅうしょうにん)が招聘され創建された。境内裏には、新田義重や呑龍上人の墓がある。義重は九条兼実に従い法然上人に帰依した。建久6年(1195年)3月に寺尾城内に大光院を建立した。時を経て、家康は観智国師・土井利勝・成瀬正成に遺跡を探させ、墓石と礎石などをここに移した。後の明治時代には、浄土宗管長として一宗の近代的教団の形成に尽力した日野霊瑞が大光院住職(第63世)から増上寺住職(第71世・73世)を経て知恩院門跡(第77世)へと昇住した

本堂


大田七福神巡りの弁財天になっています


阿弥陀如来と大仏

鐘楼堂

臥龍の松
殆ど枯れていて一部だけ葉が茂ってました
久しぶり参拝しましたが閑散としていました
子供の頃は参道の売店でポン菓子を買ってもらい鳩にあげていましたが今は糞害から彫刻などを保護するため網が付けられ境内の鳩は殆どいませんでした
また境内には幼稚園がありましたが廃園になったのか園庭などは草木が生え手入れしていない感じでした
時代の流れを感じましたね