9/28櫻木神社参拝後、向かったのは同じ野田市にある香取神社

御朱印



由緒
関宿町が天正十八年(1590)久松松平因幡守康元が入城以来二十三代久世廣業迄約二百八十年の間、城下町・宿場町として栄えて来た事は、よく知られるところであるが、代々の藩主が敬神崇祖の念に篤く、特に天王祭が盛儀として実施されるようになったのは古記録によると、十代藩主板倉阿波守重郷の明暦三年(1657)の頃に「この年六月七日・十二日御領主様の代佐武門前牛頭天王神輿御入御、国家安全・武運長久・五穀豊穣の御祈祷御祭禮相勤め御領内順行仕る」と。又神輿警護の役人・神官・氏子等に御酒・御赤飯を給る云々」とあり「以後代々これに倣ふ」と記されていることから、江戸時代の初めから行なわれていたことが解る。
 天明六年(1786)藩主久世隠岐守廣誉の時「六月の天王祭町に過ぎたる華麗さなり」とある。この時代は所謂「天明の飢饉」の時に当るが、敢えて天王祭を行なったのは、災厄を拂ひ、領民皆福を願ってのことであったと見るはひがめだろうか。いついかなる時にも敬神崇祖の念を失うことのなかった先人の心情が胸をうつ。伝統とは継続であるという教えでもある。時移り平成七乙亥年(1995)十一月十二日、関宿城御三階楼を模して建設された、「千葉県立関宿城博物」の開館を機に、台町・江戸町の江戸時代より伝わる神輿二基を古式に則って渡御を行う。八坂神社の旗幟を先頭に、五色旗・神馬・榊・天の鉾旗を擁し宮司新納茂外二名の神官の先導により「わしよわしよ」と阿呍の掛声と共に門前に進み、御祈祷御修祓の後未だ嘗て見ることのなかった二神輿の相揉みが奉納され、當に特筆すべき盛儀であった温故知新の心も新たに茲に浄財をもとに記念碑を建設し、後世に我が町にかかる伝統祭礼行事のあることを知らしめ、この灯を消すことのないことを祈り伝えおくものである

狛犬


鳥居

手水舎


拝殿

本殿

末社



櫻木神社が思っていたより空いていたので帰りに急遽参拝してきました
境内では黒揚羽蝶と揚羽蝶が飛んでいましたよ
御朱印は参道左手の宮司さん宅で頂けます

千葉県 野田市関宿台町2710
駐車場は境内にはあり