尊敬する人物はと聞かれたら、昔から「桂米朝さん」と答えるようにしている。

自分自身が噺家でも弟子でもないので「米朝師匠」などとはおこがましいくてとても言えない。

米朝さんご存命のときは、四代目米朝を小米朝さんが、五代目桂米團治を桂吉朝さんが継ぐ話になっていたようだが、吉朝さんがお亡くなりになったあと小米朝さんが五代目米團治を継いだため現在「桂米朝」は空席になっている。

しかし、これは誰しも思っていることだと思うが、「桂米朝」は永久欠番が一番よいと思う。

それくらい桂米朝さんが残した功績は筆舌に尽くしがたいものがあると思う。落語家で人間国宝と文化勲章ですよ。

落語のプロであるお弟子さんならなおさら大きすぎてとても継げる名跡ではないと思う。

 

さて、そこで二代目「桂三枝」襲名問題である。

桂三枝も桂米朝同様に上方落語に大きな足跡を残している噺家だと思う。

ただしその内容は全く異なるものである。

 

私が思うに桂三枝(六代桂文枝)は怪物である。

デビューからほとんど下積みはなく売れに売れて、毎日テレビ・ラジオに出ずっぱり。最盛期はたぶんピンクレディー並みに忙しかったはずだ。だだそれはタレントとしてであり噺家として脚光を浴びるのは30代半ばくらいからだったと思う。

ただ方向性として創作落語(新作落語)に完全に舵を切った。言うまでもなくこれは大正解である。

 

特筆すべきは、桂三枝という人間がほかのどの上方落語の噺家よりも、野心家であり上昇志向であり名誉欲の塊のような人物であるということだ。そのことは彼が大阪市長選に打って出ようとした一件、さらにそのことで一時桂南光と仲たがいした事にも垣間見れる。ただ、その桂三枝が上方落語協会の会長になったことで、上方落語の定席「天満天神繁盛亭」が出来たし、その後の上方落語の隆盛につながったのは間違いもない事実である。

 

桂米朝さんが落語家と学者(文芸評論家・研究者・作家)の二刀流ならば、桂三枝は落語家と実業家の二刀流といったところかと思う。

 

現桂文枝は弟子に「桂三枝」を継がせたいようだが、やはり「桂三枝」も永久欠番である。