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スクランブル交差点

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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111026-00000001-blogos-pol


10月20日から22日まで、デジタルコンテンツ分野の国際的イベント「DIGITAL CONTENT EXPO 2011」が都内で開催された。21日には作詞家、放送作家、テレビ・音楽プロデューサーなど数多くの顔を持つクリエーター、秋元康氏が講演し、自身の手がけるアイドルユニット「AKB48」誕生にまつわるエピソードなどを語った。以下、秋元氏の発言をまとめた。


「会いに行けるアイドル」を思いついた背景

秋元氏:ヒットした後に語られる「あのときはああいうふうに考えていた」という話はだいたい後付けです。AKB48は2005年12月にスタートしました。そのときのことを振り返ると、私はそれまでラジオやテレビの仕事をしてきましたが、実際どれくらいの人に見られたり、聴かれたりしているかがわからなかったんです。

人気が出てきたロックバンドがだんだんと大きなコンサート会場に移っていくと、目に見えてお客さんが増えていきます。そういうことが大事だと感じていました。だから初めは劇団を作りたかったんです。徐々に大きくし、毎日公演し、毎日見てもらえたらコンテンツとして成長するのではと考えていました。

当初は青山や原宿で劇場の候補地を探していましたが、当時は秋葉原がたまたま人気の地域で、ドン・キホーテの8階が空いているのを見つけました。そこで毎日やるには同じ内容の演劇では難しい、歌とダンスのレビューにしようと考えた。イメージはクレイジーホースやムーランルージュのようなものです。そして、どうせならアイドルの方が面白いと思い、だんだん今のAKB48に近づいていった。最初から狙ったものではないんです。

候補生やメンバーのオーディションでもアイドルを集めました。私は毎日公演をやりたかったんです。いままでのアイドルは毎日、テレビ局に通ったり、地方をまわっていた。そんなことしなくても定時になればここにいますよ、というのは面白いんじゃないかと。それが「会いに行けるアイドル」という形になった。

おニャン子クラブやその他のアイドルとの差別化

秋元氏:おニャン子はテレビが産んだアイドルです。テレビの力を活かしていました。テレビは最大公約数。おニャン子はお年寄りから子どもまで、人気が出るのが速かった。一気にマスを掴んだんです。

おニャン子が当たるだろうなと思ったのは、自宅で「夕やけニャンニャン」という番組を見ていた時。司会のおニャン子の1人が、「新田恵利は今日中間テストでお休みです」と言ったんです。これはナメてるだろと思いましたが、実は視聴者も中間テストでした。だからブラウン管の中の彼女を身近に感じた。それがおニャン子クラブ。

おニャン子のファンにつんくがいました。おニャン子は音楽として優れてはいませんでしたが、つんくはミュージシャンなので、音楽的に先進的です。モーニング娘。は衝撃的でした。こんなにかっこいいアイドルはそれまでにいませんでした。おニャン子と似ていますが、中身は全然違います。

おニャン子は特訓しません、レッスンもしません。モーニング娘。は特訓し、レッスンして、才能を発揮しました。一方でAKB48は過程を見るドキュメンタリーです。どのように成長するかを楽しみます。

AKB48が2005年12月に劇場でスタートしたときのイメージは、かつておニャン子という高校野球チームを優勝に導いた監督が、秋葉原で新しく野球部を作り甲子園を目指そうという感じです。でも集まった子たちはバットもボールも持ったことがありませんでした。はじめは秋葉原の住人、地元商店街みたいな方たちが優しく、差し入れのように、金網越しで応援してくれていました。

そういうチームが地区の大会に勝ったり、甲子園に行って、優勝するまでの過程がAKB48なんです。いまどれくらいまで来ているかと聞かれますが、私は甲子園で優勝したくらいだと思っています。そしてプロのチームのスカウトが「あの子をスカウトしたい」と思っているところ。AKB48を卒業して、プロ野球でどこまで成長できるかという段階にいるんです。チームを作るにあたって揃えたメンバー

秋元氏:経験がある子は外しました。あるいは芸能界とはこういうもの、アイドルとはこういうものというイメージを持っている子は不合格だったと思います。集まったのは何もわからない、海のものとも山のものともわからない感じの22~23人でした。スタッフも同じです。そういうステージを組んだことのない人たちでした。そういう人たちが集まってやったので、「舞監」(舞台監督)という言葉や「バミる」という言葉もわかっていませんでした。

有名なグラビアアイドルが週末にイベントを開いても50人くらいしか集まらない時代。「秋元さんでも毎日250人は埋められないのでは?」と言われていました。AKB48の初日公演のお客さんはわずか7人でした。でも何か面白いことが起き始めていると自分に言い聞かせました。この7人から始めることを、自ら望んだのですから。そして2カ月後に劇場が満員になりました。

なぜ満員にできたからというと、ネット社会だったからです。ネットがなかったらもっと時間かかっていたでしょう。公演を観た人がブログや掲示板などネットで発信してくださった。それが大きかったです。AKB48はネットとリアルを行ったり来たりしているところが面白いんです。

AKB48にあるサバイバルの仕組み

秋元氏:いまは運動会の徒競走でも順位をつけないですよね。僕も無理な競争や格差は本人が望まないならばあってはいけないと思っています。でもAKB48の彼女らは、芸能界を目指すと宣言したんです。もちろん思春期の女の子のなのでいろいろありますが、AKB48は競争よりももっと上を見ています。AKB48での順位よりもプロ全体での順位を見て、考えています。総選挙をやった結果、もしギスギスしたらやめようと思っていましたが、反応はポジティブだったので続けています。

総選挙やじゃんけんは基本的にはお祭りです。いまはネットがあることで、ファンの声を聞き取りやすくなっています。昔は公演をしている劇場の脇で、その日のお客さんにどんなところが良かったか聞いていました。そして「あいつをエースピッチャーにしろ」みたいな感じでアドバイスをもらっていました。それがネットに移ったんです。

AKB48は当初、二十数人だったのでCDジャケットにみんな出られました。でも人数が増えてくると全員は出れなくなり、音楽番組に出るメンバーも選ぶ必要がでてきた。そこで選抜組が生まれました。人数が多く、「顔がわからない」と言われたので、わかる配列にしたんです。それが前田敦子のセンターでした。

そうするとお客さんが「秋元さんの目は節穴か」と。「あの子を入れろ」とか「あの子を外せ」とかいろいろ言われるんです。じゃあ年に1回ファン投票をやればいいじゃないかとなった。でもメディアに露出しているメンバーが有利になります。私は、総選挙は不公平なものだと最初から言っていました。テレビに出ている子が当然有利ですから。

そして次に、「わかりました。じゃあじゃんけんしましょう。みんなにチャンスがあるから」となったわけです。AKB48の何が面白いかというとオーディエンスとの対話なんです。実際に対話をしていなくても、まるでやり取りをしているかのようにコンテンツを作るところが、いまの時代にあっている。昔はテレビの力が強かったため、例えばとんねるずとこういうことをやればウケるだろうと考えていましたが、いまはみんなが何を言っているか聞いています。

ネット社会のおかげで受け手が変わってきた。ファン同士が横でつながり、お互いに情報の送り手、受け手になったりする。「今度のCDはすごくいい」あるいは「買う価値なし」という情報がすぐに飛び交う。それがネット社会の良いところなんです。

外為ファイネスト
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東京都世田谷区の民家で見つかった「放射能ビン」騒動は、当初、“東京ですごいホットスポットが見つかった”と、市民運動家や反原発団体を大騒ぎさせた。しかし街中にも花崗岩など放射能を持つものは少なくない。そういう意味では、“ホットスポット”は各地に点在している。

放射線計測・防護が専門の加藤洋・首都大学東京准教授によれば、岩盤に囲まれたトンネル内は放射線量が高い。大地の放射線を四方から受けることに加え、放射性ガスのラドンが滞留しやすいことが理由という。

東名高速のトンネル内で線量を計測した。結果は、三ヶ日トンネル0.13マイクロシーベルト(以下同)、日本坂トンネル0.13、清見寺トンネル0.11、蒲原トンネル0.11で、いずれもトンネルの前後に比べて約2倍の線量だった。

健康に良いとされ、多くの観光客や湯治客でにぎわう「ラジウム温泉」は間違いなく“ホットスポット”である。放射能を売りにしているのだから当然だ。

中部地方の有名なラジウム温泉を訪ねた(営業に悪影響を与えたくないので、あえて場所は特定しない)。

源泉近くの風呂の中で測ると、0.21とやはり高い。脱衣所や内湯では0.16を計測。客間や温泉街の屋外でも0.14、0.15だったが、これは福島県いわき市庁舎前の0.17と同程度である。同じような放射能温泉は日本中にあり、過去の計測データによれば、今回訪れた温泉の10倍以上の線量の場所も少なくない。年間被曝量に換算すると、10ミリシーベルトを超えるレベルである。

※週刊ポスト2011年11月4日号


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東日本大震災で失われた街並みや震災後の復興の記録を写真で保存するYahoo! JAPANの『東日本大震災写真保存プロジェクト』が20日、外部サイトに投稿された情報を収集できるよう機能拡張をした。

これまでは同サイトに投稿された写真のみが閲覧できていたが、今後はFlickr、Picasa、YouTube、フォト蔵など外部サイト上に投稿された写真・動画、ボランティアや防災に関する記録的価値の高いブログ記事なども『東日本大震災写真保存プロジェクト』にアーカイブ化するという。外部サイトに投稿されたコンテンツの収集は、同プロジェクトの主旨にあった外部サイトの写真や記事をユーザーが紹介する形で行われる。

また、Googleが運営する同様のプロジェクト『未来へのキオク』との連携もスタート。API(アプリケーション・プログラム・インターフェイス。ウェブサービスの機能を外部サイトから呼び出すためのインターフェイス)を相互提供することで、Yahoo!またはGoogleのプロジェクトのサービスに投稿された写真や動画が、自動的に両方のサイト上で閲覧できるようになった。

10月23日の時点で、Yahoo!の『東日本大震災写真保存プロジェクト』には約3万6900点の写真投稿があり、そのうち外部サイトからの投稿はすでに約7900点に及んでいる。震災直後の生々しい被害状況を撮影した写真や、復興に向けて活動する姿を捉えた写真、そして震災前の思い出を写した写真など、東日本大震災に関係する様々な記録が投稿されている。これらの写真は撮影した場所や時間の情報とともに投稿されており、地域や時期ごとに記録を探すことができる。

一方、Googleの『未来へのキオク』には、10月23日の時点で約4万7000点の写真や動画が投稿されている。こちらもまた、地域や時期ごとに写真や動画を検索して閲覧することが可能。

東日本大震災の記録を網羅的に閲覧できるようになったという点で、両サービスが連携した意味は大きい。復興そして防災に関するアーカイブとしても、より一層役立てられることになりそうだ。
(R25編集部)