発端は昨年の12月25日、前橋市内の児童相談所に届けられた10個のランドセルだった。
漫画「タイガーマスク」の主人公で自ら稼いだファイトマネーを孤児院に寄付する覆面レスラー「伊達直人」を名乗る人物からで、「子供たちのために使ってください」というメッセージが添えられていた。
この粋なニュースが報じられると、全国各地の児童養護施設には、「伊達直人」や漫画「あしたのジョー」の主人公「矢吹丈」を名乗る人物からのプレゼントが相次ぎ、その数は、ランドセル750個、現金や金券は3200万円分にも上った(1月17日 厚生労働省・家庭福祉課調べ)。
現在、全国575カ所の児童養護施設で約3万人の子どもたちが暮らしている。多くは実の親から虐待を受けたり、養育不能とされた子どもたちだ。
今年、施設から小学校に入学予定の子どもは約1850人だから、タイガーマスクによって、約2・5人にひとつのランドセルが行き渡ったことになる。
匿名のプレゼントが一種の流行になったことは喜ばしいことだが、児童虐待防止法、児童福祉法改正などに携わってきた私にしてみると、「これだけでいいのか」と釈然としない気持ちが残る。
そんな折、1月21日付の朝日新聞で「09年度に全国の児童養護施設などで職員らから子供への虐待が59件」という記事を見た。逃げ場のない被害に胸が痛む。
さらに、1月24日には「東京都内の児童養護施設に暮らす男子高校生がNTTドコモから、親など法定代理人の同意がないから、と携帯電話契約を拒否された」との記事も載った。
いったいどうしてこのようなことが起きるのか。
高校生の保護者代行となってNTTドコモにかけあった都内にある児童養護施設をたずね、施設長(58)に話を聞いた。
施設長は苦渋と怒りの表情を浮かべ、こう語った。
「子どもがドコモの携帯が欲しい、というので販売店の窓口にかけあったのですが、担当者は、契約を結ぶには『未成年後見人』を設定するか、『親権喪失』をしなければダメ、の一点張りでした」
だが、この高校生は虐待が理由で裁判所の命令で親と分離されており、同意を得るのは不可能だった。
「この生徒だけでなく、施設で暮らす子どもの99%は親や身寄りがいて後見人の設定はできません。さらに、親権喪失は戸籍に残り、親子の関係修復をより難しくすることになります」
施設長は「施設で暮らす子どもを契約対象から排除していいのか」と、本社に文書で問い合わせたが、ドコモの回答は、
「児童養護施設の子を排除するということはないが、実親が親権を有していて施設長には親権代行が認められないのでお断りした」
というものだったという。
この高校生が通う高校で、携帯電話を持っていないのは施設から通う彼だけ。しかも、アルバイト先から連絡用に持ってほしい、と言われ、施設長もその必要を認めた上で、保護者代行として契約することを勧めたのだ。
法務省民事局の親族法の担当官は、
「児童虐待で問題になってきた親権の一時停止が可能になる答申が近く出ます。法改正がされた場合、親権の『財産管理権の喪失』を申し立てれば、携帯電話の契約も可能です」
と説明する。
しかし、ちょっと待ってほしい。たかだか、携帯電話の契約のために「財産管理権喪失の申し立て」までしなければならないのか。
これでは、ただでさえ、支援が十分でない子どもたちが自活するための基礎条件を奪われることになる。
この記事を見た私が24日、ツイッターで「なんという不条理」とつぶやくと、瞬く間に、ネット上で議論に火がついた。この日の深夜には、ソフトバンクの孫正義社長(53)が、
「やりましょう。契約出来るように改善します」
とツイート。26日には、ソフトバンクのホームページに、
「児童養護施設に入所されている未成年者の携帯電話契約につきまして、ソフトバンク携帯電話を下記の通り新規でご契約いただけます」
とのお知らせが載った。
しかし、児童養護施設を取り巻く問題はこれだけではない。
前出の施設長が今、頭を悩ませているのは貯金・預金通帳のことだ。
今年6月から、厚生労働省は、これまで「子ども手当」が支給されてこなかった児童養護施設や里親家庭に対しても、支給する方針を固めた。そのため、施設には子ども名義の通帳で手当を管理するようにとの指示が来ているが、現在も通帳をつくれない子どもがかなりの数でいるのだという。
都内の児童養護施設に勤める男性職員は言う。
「住所のない子がいるのです。虐待で、親に居場所を知られたくない場合、施設に住民票を移せません。また、親が転出届を出して、どこにも転入届を出さないために、住民票が宙に浮いている子もいます。無保険のため、保険証のない子どもも多い」
金融機関では、犯罪の温床となる架空口座や他人名義の口座を防ぐため、口座をつくる際は、本人確認書類の提出を求めている。
ゆうちょ銀行の担当者によれば、
「本人確認書類がなくても、官公庁が発行した在籍証明があればつくれます」
とのことだが、多くの児童養護施設は都道府県ではなく、民間の社会福祉法人が運営しており、ハードルは高い。
日本は1994年に「国連子どもの権利条約」に批准し、子どもが健やかに生活できる権利を認めている。にもかかわらず、施設で暮らす子どもたちは、「例外」として社会の壁に阻まれる。
私は、8年ほど前、栃木県内の児童養護施設を訪ねた時のことを思い出す。
100人を超える子どもたちの暮らす施設は老朽化していて、小学生は畳敷きの大部屋に枕を並べていた。山間部なのに、窓には虫を遮る網戸もない。机の数を数えてみると、子どもたちの数よりも少ない。職員によれば、
「3人でひとつの机を使っています」
とのことだった。
高校生の暮らす部屋は真新しかったが3畳と狭く、
「定員は2人です」
という。思わず、
「えっ」
と声が出た。3畳に2人が布団をふたつ敷いて寝起きしていた。部屋の中央には、最近見なくなった円形の卓袱台が置いてあった。勉強するには自室ではなく「学習室」を使っているという。
ふと、気になって、大学に進学する子どもはいるのかと聞いてみた。
すると職員は、
「ここでは『大学進学』の話題には触れないようにしています」
という。この施設では戦後、一人も大学に進学した子どもはいなかった。
「施設を出る時に、入寮して働ける職場を探すのに一苦労です。せめて運転免許を持たせてあげたいのですが……」(職員)
厚労省家庭福祉課の調べでは、児童養護施設からの高校進学率は91・9%(日本全体の中卒者は98%)と比較的高いが、大学等進学率になると、13%(同高卒者は54・3%)と格段の差が出る。専修学校等の10・1%(同23%)をあわせても進学する子は全体の4分の1だ。
一方で、東京都杉並区にある児童養護施設「聖友学園」の井上恭子園長は、
「進学希望の子どもたちはなるべく進学させています。高校生になったら、アルバイトを積極的に勧め、進学時は、支度金以外に東京都独自の制度や、民間の基金にもお願いしています」
と語る。
東京都には児童養護施設等の出身者を対象とした「大学等入学支度金」制度があり、入学時の費用をまかなう。さらに、入学金実費分を出す「雨宮児童福祉財団」の助成金や、在学中月額3万円を助成する「西脇基金」など、進学先が決まり、申請すれば支給される基金もある。
厚労省の調査でも、2010年5月時点の施設からの大学進学率は、東京都は30・3%と高い。だが、京都市、神戸市、福岡市などは0%だ。宮城、秋田、山形、新潟、富山、石川、福井、和歌山、岡山、徳島、香川、愛媛も0%だ。
施設で暮らす子どもたちは高校卒業と同時に、社会に出ていかなければならない制度となっているのだ。
では、その時、行政は彼らに自立のための資金をいくら持たせてあげられるのだろうか。
厚労省の高橋俊之家庭福祉課長によれば、
「就職支度費、大学等支度費ともに、現在は7万7千円です。両親が死亡・行方不明の場合や、経済的援助が見込まれない子には、特別基準額13万7510円が加算されますから、その場合は21万4510円になります」
という。都市部でアパートを借りて家財道具をそろえるには、特別基準加算額を加えても厳しい金額だ。
自身も施設出身で、施設出身者の支援を行うNPO法人「日向ぼっこ」(東京都文京区)の渡井さゆり理事長(27)は言う。
「親に虐待されたり、捨てられたりした子どもは、人を愛することや、信頼することを知らないまま放置され、自立のための準備も十分でないのに、施設から出される。精神的な面だけでなく、生活スキルにおいても、調理や買い物など、一人で生きていくために必要な経験をさせてもらえないところもある」
特に、問題なのは、施設によってケアの質に格差がある点だという。
「高校卒業後の進路のことも、施設によっては、利用できる制度や選択肢について情報すら与えられないこともある。子どもは措置される施設を選べない。同じ日本にいながら、こんな不平等があっていいのでしょうか」
もちろん、大学に進学しさえすれば幸せになるわけではない。だが、自ら望んで施設に来たわけではない子どもたちが、最初から進学の道を閉ざされてきたことは、政治と児童福祉行政の貧困を物語っている。
全国に広がったタイガーマスク運動の輪は多くの人に伝染し、感動させた。
しかし、タイガーマスクから贈られたランドセルを背負って入学した子どもたちが、18歳で施設を出る時はわずかランドセル2個分のお金しか渡されず、社会に放り出されているという現実から私たちは目を背けてはならない。