5、仁科先生(1)
5月も下旬に差し掛かり、少しずつ暑い日差しが顔を覗かせるようになってきた。
そしてナイター照明が使えるようになった為、野球部の練習は夜の7時までとなった。
本当はもっとできるのだが、学校側としては電気代を節約して欲しいという意向もあり、夜7時までと決められてしまったのだ。
しかも土日は近所の草野球や少年野球チームにグラウンドを貸し出す為に、使用は出来ない。
だから毎日夜7時まで練習し、土曜日は筋トレやランニングにあてている。
そして日曜日は休み。まあそれでも練習環境としてはまったく問題は無い。
しかし新たなる問題が発生した。
実は試合が出来ないのである。
いろいろ電話を掛けて練習試合を要請したのだが、全て断られた。
別に港南学院が嫌いとかそんな理由ではない。
どの学校も、港南学院高校としての承認が必要だと言うのだ。
高校生にはなかなか理解ができない事であるが、社会には、なにかあった時の責任というものが発生する。
つまり未成年者だけでは駄目という事を、どの学校からも言われてしまったのだ。
今の野球部には港南学院高勤務の顧問が必要だったのだ。
「さあどうしようかな・・・」速見はポツリと呟いた。
土曜日の朝野球部は緊急ミーティングを開いていた。
「そんなもん監督募集って職員室に貼紙だせばいいじゃん」文麿は机に足を乗っけた、だらしない格好をしていた。
「来るわけないじゃん。教師だってサラリーマンだよ」司は身振り手振りを交えて反論した。
そしてしばらく無言が続いた。
「校長にかけあおうか」と速見は言った。
「そうだな。速見さん、それが一番早いぜ」文麿は本当に先輩に対する態度がなっていない。
だが速見もいちいちそんな事を指摘しない。
速見は悪く言えば甘いのだが、よく言えば本当に寛容な人間なのである。
野球部の9名は、校長室を訪ねた。
港南学院の校長は脇坂校長と言い、中肉中背で少し堅物な性格である。
学校で行う事は、朝は校門前に立って生徒への挨拶。
昼は主に畑仕事と花壇の手入れであり、いわゆる仕事をしない校長である。
「う~ん・・・難しいなあ」校長席に座る校長の姿はいつもの違って、なんとなく威厳があった。
「どうしてですか?」速見はその理由を尋ねた。
「人の問題があるからだよ」
「人の問題???」
「人がいないんだよ」と校長が言うと、文麿が「どうしてだよ!仕事してねえ教師なんていっぱいいるだろうよ!」と言って、食って掛かった。
速見は即座に「一ノ瀬!黙れ!」と言って文麿を諫めた。
だが、校長はそれに動じずに答えた「いや・・・その通りだよ。人はいるんだよ。ただ労働時間って意味わかるか?教員には労働組合っていうのがあって、それに労働基準法というものもある。労働時間は一週間に40時間の勤務と定められているんだ。それを元に毎年教師にどの倶楽部の顧問をするとか決めているんだよ。それはもう計画が作られているんだ。私が命令を出した以上、部活の時間は労働時間となるんだ」
チンプンカンだ。
ただ校長の命令で、野球部部長つまり顧問を置く事は難しいと言う事は、わかった。
しかし、この校長先生の発言に文麿は「じじい!なめてんじゃねえぞ!こら!」と言ってまた騒ぎ出したので、速見は怒声をあげた。
「遠山!徳永!一ノ瀬を連れ出せ!」
速見にそう命令されると、真と陽一は文麿の両腕をつかみ、校長室を出て行った。
「あの・・・校長先生」と言って司が手を上げて「言っている意味はわかりました」と言った。
司の発言に、こいつわかったのか?と全員目を丸くさせた。
「ただ・・・僕達も3人からここまで頑張ってきたんです。だからなんとか試合がしたいんです。その労働基準法と労働組合の枠を超えて、顧問の先生を置いてもらえる方法はありませんか?もちろん迷惑はかけません」さすが司、すばらしい論客だ。
「う~ん・・・教師が自主的にやるというなら構わない。これは顧問についてない教師のリストだ。これを見てお願いしてみなさい。ここまでやったんだからあと1名ぐらいなんとかなるだろう」校長はそう答えて、速見にリストを渡した。
日曜日の朝陽一はまた鎌倉リトルの古屋監督のもとを訪れた。
用件は一連の結果報告だ。
「そうか、陽一も真もいよいよか。嬉しいよ」
「心配かけてすみません」
「心配なんてしてないよ。こうなると思っていたんだからな。それより学校も融通利かないなあ。まあ仕方ないといえば仕方ないが」
「ちょっとムカついてますけどね」
「ところで野球に詳しい先生はいるのか?」
「多分いないかと。3年前に全員辞めたって聞きましたから」
「それじゃあ・・・野球を全く知らない教師のほうがいいなあ」
「えっ?」
「世の中って不思議なものでなあ。いい指揮官って二通りなんだよ。1から10まで知ってやるタイプか、何も知らないタイプかなんだよ。一番厄介な奴は5までしか知らない。
それか、5からしか知らない、もしくはやらない。こういう奴は全てを駄目にする」
「もし何も知らない先生なら、自分達はどうしたらいいのですか?作戦はどうするのですか?」
「野球を本当に知っている奴をそいつの傍に置くんだよ」
「じゃあその先生は、何もする事がないのですか?」
「グラウンド上ではな。ただスポーツって言うのはグラウンド上だけでやるんじゃない。試合の日程調整から、機材を買ったり、お金を管理したり、データーを纏めたり・・・。テレビで見るプロ野球中継なんてほんと氷山の一角なんだよ。もっともっと下のほうでいろんな人が動いているんだよ」
陽一はすごくタメになった。今まで自分は野球の技術を磨く事一辺倒だった。
速見が以前『球が速いだけじゃ野球はできない』と言っていたが、その意味を改めてわかる事ができた。
それまで『誰でもいい責任者になってもらえばいい』と思っていたが、それは間違いだ。スポーツはもっともっと奥が深いのだ。
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