広瀬つみきの経歴 | 【2歳3歳の子育てアドバイザー】イヤイヤ期の子育てで悩むママのための育児の学校「つみきカレッジ」

【2歳3歳の子育てアドバイザー】イヤイヤ期の子育てで悩むママのための育児の学校「つみきカレッジ」

子どもの本音が分かれば、「イヤイヤ」の対処法がわかります!我が子への実践、幼児教材制作会社での経験、保育士資格の知識を元に、ママがラクになれるようなお話、「イヤイヤ期」の対処法などを書いています。

はじめまして。

2歳3歳専門の子育てアドバイザー、広瀬つみきと申します。

2013年4月に発売した、全国20万部発行の、
「I LOVE mama6月号」にて、子育てアドバイザーとして、
専属モデルの日菜あこさんと対談しました!

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改めまして、こんにちは、子育てアドバイザーの広瀬つみきです。



※子どもたちの前で絵本&ギターライブを時々するので、こんな画像にしてみました。

時々、「みつきさん」と言われますが、こちらの方です(^_^;)



広瀬つみきのミッションは、
「世界中のママたちが、貧富の差なく、楽しく、
幸せな子育てができるように応援する事業を展開する」


ということです

日本だけにとどまらず、世界中のママたちのお役に立てるお仕事をしたいと思っています。

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2013年5月の時点で32歳。
5歳と2歳の男の子のパパでしたが、2012年に離婚をして、
今はバツイチです。

そんな僕が、なぜ、子育てアドバイザーになったのか・・・

唐突ですが、僕が小学校5年生の時、母親が家出をしました。
これが僕が子育てに関わる原点になった出来事と言ってもいいと思っています。

なぜ子どもを置いていなくなるのか、
なぜ、好き合って結婚した夫婦が別れることができるのか、
そもそも家族とは何なのか?

そんなことを悶々と悩みながら、小中学校時代を過ごしました。

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家庭内がうまくいっていない寂しさをまぎらわすかのように、
勉強に打ち込み、中学生の時は、ほぼ、学年1位の成績で過ごしました

一方で、運動神経は、恐ろしいほど悪かったです。
小さなころから肥満体質だったこともあり、特に走るのが遅く、
200mのトラックを5周走るうちに、速い子に2回抜かれる
なんていうミラクルを毎回起こしていました・・・。

晴れて公立の進学校に入学するものの、スパルタ的な教育方針と、
なぜか高校球児にあこがれて入った野球部の練習で、
肉体的にも精神的にも披露困憊(ひろうこんぱい)し、
高校1年の正月明けのテストで、「バーンアウト」
いわゆる、燃え付き症候群のような状態になり、以来、不登校になりました。

人生の冬の時代の到来です


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不登校、そして、引きこもり生活が1年ほど続きました

生きる意味、目的などがわからなくなってしまい、
高校2年の時、自ら退学届けを提出し、高校を中退しました。

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親のこと、自分自身の境遇から、「家族とは何か?」ということや、
「思春期の青少年の心理」などに興味がありましたが、

人間そのものの才能・能力についても、不思議に思っていました。

どういうことかと言うと、
「運動ができなかった自分」と
「勉強ができた自分」がいたからです。

例えば、運動で言えば、いくら努力をして走る練習をしても、
足の速い子にはたちうちできないように、
勉強も、長時間勉強したからと言って、
すぐにテストの成績が良くなるわけではないということです。

・人の才能とは何か?
・家庭がその人の人格形成にどれくらい影響を及ぼすのか?
・子育てとは、一体何のためにすることなのか?


さまざまなことを考えながら過ごしているとき
(引きこもりの10代の少年が
こんなことを考えながら生きているのってなんだか変ですね)、
姉が20歳で出産しました。

赤ちゃん

初めて、身近に「赤ちゃん」を見ることになりました。

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赤ちゃんと一緒に生活する中で、

「天才児が育つ要因とは?」


ということに、とても興味を持つようになりました。

「遺伝か環境か」
、環境だとしたら、どのくらいの時期に何をしたらいいのか、
ということについて育児書などを読んで自分なりに勉強を始めました。

そういう意味で、僕の、「子育てアドバイザー」としてのキャリアは、
10年以上、にもなるんですね。

その時に出会ったのが、故・七田眞(しちだまこと)さんという方が書かれた、
「赤ちゃんは天才!」という本(KKベストセラー・絶版)でした。

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右脳教育を展開する七田氏の教育については賛否両論あるところですが、
膨大な事例を元に独自の教育理論を確立した点や、
胎児からの教育がどれほど大切か、
また、形ばかりの英才教育ではなく、
「心の教育」「親の関わり方
」が非常に大切と説いているところに非常に感銘を受け、
多くの著書を読みあさりました。

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そんあるとき、親戚の子の紹介がきっかけで、
不登校の状態のままですが、英会話学校に通うようになりました。


徐々に元気を取り戻していった僕は、
英会話学校の先生の紹介で始めたアルバイト先で、
人間関係がうまくいかず、数ヶ月で辞めてしまうことになりました

高校中退=つまり中卒として、
フリーターとしてこれからの人生を歩んでいくくことに限界を感じ、
同時に、どうせ社会に出たなら、『自分の生きた証』を残したいという思いを胸に抱き、
大学に進みたいと思うようになりました。

その後、「大学入学資格試験」に挑戦し、京都の龍谷(りゅうこく)大学に入学しました。
お坊さんがたくさん行く大学ですが、
「和」が好きだった僕は、京都の大学の中でも、住みやすそう、かつ、入れる大学が、
龍谷大学だったわけです。

この時点では、1浪している人と同じ年齢での入学でした。

フリーターから大学に進学すると決意した時、
どうせなら、やりがいのある人生を!と願い、起業を志しました。

子育ての本を読む一方で、起業家、大企業の創業者の自伝などを数多く読む中で、
「経営者になるためには、経済学部か経営学部に行くのがいい」
と思い、経済学部を選びました。

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在学中は、学内で開かれていた「ビジネスプランコンテスト」に参加していましたが、
この時はまだ明確な目標を持っておらず、
英会話学校に行っている経験を元に、

『確実に使える英語力が身につく幼稚園の経営』

といったビジネスモデルをプレゼンしたりしていました。

なかなかバチっとした起業アイデアが生まれなかったものの、起業の分野は最初から、

「子育ての分野」

と決めていて、その点については、10年以上経った今も変わっていません。

大学生の時には、独学で保育士の勉強をはじめ、それから3年かけて、
保育士の試験に合格しました。

また、起業のためにいろいろな仕事を経験することが大切と思い、在学中に、ホームセンター、テレホンアポインター、チラシ配り、スーパーの品出し、家庭教師、テレビの販売員、大学内でのパソコン指導員など、10個以上のアルバイトを経験しました。

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また、英語が好きだったこともあり、そして、将来世界へ出て行きたいという野望もあったので、海外に行くことを強く意識するようになりました。

最初に行ったのは、ロンドンでした。それも単独で、現地開催のバスツアーに参加するという無茶をしてしまいました

(こんなバスでずっと移動しました。ルームメイトのイギリス人と)


これは、10日間でヨーロッパの8ヶ国を回るという弾丸ツアー。
バスガイドさんはニュージーランド人、参加者50人のうち45人が世界各国から参加の外国人ということで、当然共通言語は英語
大変でしたが、非常に刺激的でした。
僕以外に日本人が4人いましたが、全員女性。しかもすべて単独旅行の子たちで、女性のたくましさも垣間見ました。
ちなみに、全日程でホテルに宿泊だったのですが、あえて3人部屋を希望し、ルームメイトは2人ともイギリス人でした。(3人部屋が一番安かったので)


(※若気の至り・・・ちょっとかっこつけポーズそして、細い


(※こんな愉快な仲間たちでした


(※エッフェル塔。左のカップルがいかにも外国風)

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その1年後、今度はニュージーランドに、これまた単独で3週間行ってきました。

今度は、現地の幼稚園でのボランティアです。

目的は、
「保育士試験は学科と実技だけで、保育実習なしで受かるから、
自分で保育実習をしよう」


というものでした。わざわざニュージーランドでなくてもよかったのですが、それは僕の興味が勝りました(笑)。
この3週間の間には、日本人には一度も会うことなく、幼稚園での仕事と、ホストファミリーとの生活を含め、完全に英語漬けの毎日でした。


(※若い!!

この経験で、

「子どもの世界、親の考えというのは、世界共通なんだな」

ということを学ぶことができました。

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大学生活も中盤に差し掛かり、就職活動をする時期になりました。

僕は起業はしたかったですが、まだちゃんとしたビジネスモデルを持っていませんでした。
起業もいいけど、1度就職して、「サラリーマンとはどんなものか」というものを体感したという思いもあったので、就職を考えました。

僕の学部は経済学部で、投資などを研究するゼミだったため、
同級生はみんな銀行か証券会社です。

僕は、ぼんやりと、ベネッセさんや公文さんのような教育会社かなぁ、
と思っていたのですが、
そんなとき、引きこもりの時に読んだ本、「赤ちゃんは天才!」を書いた、
七田眞氏が創業した会社が、
初めて全国から新卒を採用するという情報をキャッチしました。

「ここしかない!」と思い、就職活動はここ1本にしぼり、
無事内定をいただきました。

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勤務先は、なんの縁もゆかりもない「島根県」
しかも島根の中で一番大きな都市松江市から、
さらに西に車で2時間以上かかるような場所でした。

(※赤い石州瓦と、日本海。)


どんなに遠い場所でも、志があれば大丈夫。
吉田松陰が残した、「華夷弁別(かいべんべつ)」という言葉(偉い人が生まれるのに土地は関係ない)を信じ、とりあえず、3年はがんばろうと決意したのでした。

偶然にも、この吉田松陰の開いた松下村塾は、
住んでいた場所から、わりと近いところにあり
(それでも2時間はかかりますが)、
何度か松陰神社を訪れたりしました。

会社員になっても、起業の夢は依然捨てておらず、
情報を探しては、はるばる広島や松江まで出かけて行っては、
さまざまなセミナーに参加して起業をするための勉強を続けていました。

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学生時代からお付き合いしていた人と結婚することになり、男の子を授かりました。
3年半勤めた会社を辞め、三重県へ引越し。
三重県もまた、なんの縁もゆかりもない土地でした。

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また、ゼロからのスタートでしたが、

会社経営には、「営業力」が必須、と思い、まず、住宅会社の営業職に就くことになりました。
4ヶ月経ち、ようやく仕事に慣れてきたとき、まさかの「倒産」
何も知らされず、朝、会社に行くと、突然告げられたのでした・・・。

ここから、紆余曲折の人生がさらに複雑になっていくことになります。

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2度目の転職をなんとか成功させたものの、そこは過酷な営業会社。
まったくうまく行かず、仕事も朝7時から23時というような激務だったため、
1年もたたずに退社。

それから転々としていた時、
たまたま知り合いの方が事務所として使って場所が空いたため、
「一度目の起業」
をすることになりました。

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それが、「ママのための居場所」を提供したい!
という思いで立ち上げた、
「子育てサロン」mamanavi(ママナビ)です。

ママをナビする、ママも学ぶ

を形にした名前でした。

子育てサロン、といっても、来てもらうだけでは、
経営が成り立たないため、
教材販売会社にいた経験を活かし、
「知育玩具」の専門店という形で運営していました。

お店とインターネットで、「つみき」などの知育玩具を販売しながら、
お店に訪れるお客さんと育児についての話をしたり、
ベビーマッサージなどのイベントを開催するなどして、
地元のママたちには癒しの場所として、利用していただいていました。

初めての子育てで、右も左もわからないママたちが、
少しでも安心して過ごせる場所に
したい・・・
と思って頑張ってやっていましたが、
想像以上に経営は難しく、
7ヶ月という短い期間で店を閉めざるを得なくなってしまいました。

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このお店の経営をする傍ら、「パパの子育て支援」のイベントとして、
「パパスクール」を開催したり、

県の子育て支援の活動やシンポジウムに参加したり、
(右から2番目)


保育園や、市や町から招かれて子育ての講演会をするなど、
子育て支援活動に取り組んできました。

そんな活動を認められ、
2011年から2012年までの2年間、三重県より委託され、
男女共同参画審議委員会の、公募委員も務めさせていただきました。

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お店を閉める直前に第二子が産まれたので、
生活が大変で、
すぐに仕事をしなくてはならず、
条件のよい派遣社員とアルバイトをいくつかかけもちしながら生計を立てていましたが、

家庭内でいろんなことが起き、
別居。

そして、翌年離婚しました。


経営に失敗して借金を抱えてしまった
という現実もありますが、
それよりも、経済的にも精神的にも苦しい中、
妻や同居の家族(広瀬は婿養子になり、妻の両親と同居していました)
に対して優しくできなかったことが根本の原因だと思っています。


別居をして、子どもと離れ離れになってしまったものの、
どうしても、
「子育てを仕事にしたい!」
「ママをサポートしてあげたい!」

という夢があきらめきれず、その方法をずっと模索し続けていました。

自分の妻に対して、それができていなかった
という部分があるのに、子育てアドバイザーや、
ママのサポートをすることは、おこがましいこと・・・

という後ろめたさも、実はありました。

それでもやっぱり、僕は、
ママのサポートがしたいんです。

それは、

自分の母を見て、
どれだけ「嫁」として生活することが大変なことかを知っているからです。

そして、僕自身も、婿養子として相手の家に嫁(とつ)ぐ、
という経験をしました。

自分の生まれた家ではないところで生活する苦労はわかります。

そして、何より、僕は、

「子どもの無限の可能性を親の都合でつぶしてしまうこと」

は防ぎたいのです。


子どもはもともと、
「学びたい欲求」
「もっとよくなりたい欲求」
があります。

それを、親の心ないヒトコトが、阻(はば)んでしまっていることがあるのです。


心ないヒトコト、と書きましたが、
親としても、意識して言っているわけではないのです。

「よかれ」と思って言っていることもあります。
また、どうしてもイライラして、言い過ぎてしまうこともあります。


だから、


ママの心が軽くなり、笑顔でいてくれることが、
お子さんに対して、一番いい言葉かけをしてあげる条件

ですし、

その時、どんな言葉かけをしてあげれば、
お子さんが素直に、スクスク、優しく、賢く育ってくれるかわかっていれば、

子育てってとっても楽しくなるんです。


イヤイヤ期は特に、

「怒らずにはいられない」

状況が続きます。


でも、

怒らなくても、適切に接することで、
子どもが言うことを聞いてくれ、
自分で考え、前向きに行動してくれます。

僕は、その答えを持っています。

セミナーや、動画講座を受講してくださったママたちからは、

「まさかこんな方法で、子どもがやってくれるようになるなんて!」

「怒らなくてもいいってどういうことか、最初は分かりませんでしたが、
つみきさんの話を聞いて、やってみたら、
本当に、怒らなくてもいいことがわかりました。
ありがとうございました」

そんなメッセージをたくさんいただいています。

広瀬が新たに始めたママのための子育てアドバイザー。

「つみきカレッジ」という名前には、
広瀬つみきが校長の、ママのための育児の大学

という意味を込めています。

ママであるあなたに、
子育てのこと、子どものことをもっと知っていただきたい。

そんな思いで、今、子育てアドバイスをしています。

現在は、

・動画講座やレポート(テキスト講座)の提供
・個別の子育て相談

を行っていますが、

まずは、無料のメールマガジン
「ママの心をふわっと軽くする【広瀬つみきのメールサプリ】」
で、イヤイヤ期の子育ての秘訣や、
ママの心をあったかくする記事を読んで、
癒されていただきたいと思っています。

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おかげさまで、日本だけでなく、
フランスや、シンガポール、アラブ首長国連邦にお住まいのママたちからも、
「ありがとうございます!楽になりました」
と感謝のメールをいただけるようになりました。

これからも、広瀬つみきと、つみきカレッジを、どうぞ、よろしくお願いいたします

超長文でしたが、最後まで読んでいただいてありがとうございました

【アンケートクイズのヒントはこちらから】

アンケートはこちら

ママたちの気持ちをスライドショーで表現してみました。
400回以上見られています。



広瀬が大事にしているメッセージは、
【共感】です。

「子どもに共感すること」

これが何より大事なことです。
具体的にどのように共感すればいいのか、
というのは、ブログやメルマガの中でお話しています。