●質問
インドネシアの国連脱退の理由がなんでマレーシア連邦の非常任理事国選出なの?

●回答
マレーシアは、19世紀からイギリスの植民地でイギリスの影響力が強いところでした。
戦後、1957年にイギリス領マラヤ連邦から独立し、マラヤ連邦となります。
その後、1963年にからマラヤ連邦からマレーシア連邦になりますが、イギリスは影響力を持ち続けます。
マレーシア連邦成立の際に、インドネシアが領土として欲しがっていた北ボルネオを強引に併合します。
このマレーシア連邦の北ボルネオ併合は、イギリスが裏で操っています。
そして、マレーシア連邦は、国連加盟と同時に非常任理事国にもなります。
したがって、後半の非常任理事国だけ取ると文脈が掴みづらいですが、全体で見ると国連加盟をした上での常任理事国なので、こういった一連の流れに対する抗議という意味あいになります。

整理すると、マレーシア連邦は、イギリスの影響下で成立し、またインドネシアが欲しがっていた北ボルネオを併合し、領土とした。
そして、マレーシア連邦は、成立後すぐにイギリスの支援の下、国連に加盟。非常任理事国となる。
このことに対しする抗議を示すために、1965年にインドネシアは、国連を脱退した。
ということです。

ちなみに、この時の大統領はスカルノです。スハルトではないので注意してください。
こういったスカルノの政策は、反感を買い、同じく1965年に九・三○事件が起き、スカルノが失脚し、スハルトの独裁体制にインドネシアは変わります。

また、インドネシアが国連を脱退した1965年は、シンガポールがマレーシア連邦から分離独立した年でもあります。

○まとめ

1963年 マラヤ連邦からマレーシア連邦に。
→マラヤ連邦がイギリスの指導の下で、シンガポール 、北ボルネオ、サラワクを合わせたマレーシア連邦を設立する。

1965年
1月7日。
▼インドネシアの国連脱退。
→スカルノがマレーシア連邦の国連加盟、非常任理事国に抗議する。(背景には北ボルネオの領有問題などがある)

8月9日。
▼シンガポールがマレーシア連邦から分離独立。
→リー=クアンユーが建国者。

9月30日。
▼インドネシアで九・三○事件。
→スカルノが失脚し、スハルトの独裁体制に。