ヨーロッパ統合史の問題演習をしたいとの要望がありました。
論述にも対応できるような空欄補充問題を作成したことがあるので載せます。
太字は大事なところです。他地域の統合についても触れてるのでそのあたりのイメージもつかみましょう。
解答は下のほうにあります。
二度の世界大戦の惨禍に対する反省から,第二次世界大戦後,ヨーロッパでは統合をめざす動きが活発化した。アメリカも経済復興援助にあたり,国務長官 a がヨーロッパ諸国間の協力をとなえた。1950年,フランスの b 外相が石炭・鉄鋼を共同管理下におく案を発表すると,これをもとに,翌51年,フランス,西ドイツ,イタリア,ベネルクス3国によるヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)が成立した。1958年には, c にもとづき, d とヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)が発足し,1967年には d とECSC,EURATOMが e に統合された。加盟諸国はめざましい経済成長をとげ,とくに西ドイツはアデナウアーが「奇跡」とよばれる経済復興を果たした。西ドイツとともに統合の中心となったフランスでは,1958年にド=ゴールが政権に復帰し,第五共和政を発足させ,外交的にはアメリカに対抗し,フランスの地位強化をはかった。
イギリスはイギリス連邦諸国との連携を重視して統合に参加せず,1960年に f を結成した。その後, e への加盟申請にふみきった。1973年,ようやくイギリスの加盟が認められ(フランスのド=ゴールが長年反対していたため),アイルランドやデンマークも同年 e に加盟(拡大EC),西ヨーロッパの経済統合は進展し,1981年には g が,1986年にはスペイン,ポルトガルも加盟国となった。
統合の拡大とともに1979年には欧州共同通貨への第一段階として欧州通貨制度(EMS)がつくられ,1986年には市場統合の完成をめざす単一欧州議定書が出された。この動きを主導したのはドイツとフランスであったが,イギリスは保守党 h 政権のもと,市場での自由競争を重視する政策をとり,統合の進展には慎重な姿勢をみせた。
冷戦の終結,西ドイツ首相コール、東ドイツの国家評議会議長ホーネッカーの時代に東西ドイツ統一した。これよって統合はさらに深化し,1992年の i により翌93年にヨーロッパ連合(EU)が発足し,1995年に加盟国は15か国となった。1999年には共通通貨ユーロが導入され,2002年からは一般市場に流通するようになった。その後,2004年には旧東ヨーロッパの社会主義圏諸国を含む10か国が加盟を果たし,さらに2007年,東ヨーロッパ2か国が加盟,2013年にはクロアティアが加わり,EU加盟国は28か国になった。
世界のグローバル化にともない,ヨーロッパ以外でも国家をこえた地域統合の動きが進んだ。
アフリカでは2002年,EUをモデルに j が発足し,また,1992年にはアメリカ,カナダ,メキシコが地域協定を締結,ラテンアメリカでも南米南部共同市場(MERCOSUR)が発足した。
解答
a マーシャル
b シューマン
c ローマ条約
d ヨーロッパ経済共同体(EEC)
e ヨーロッパ共同体(EC)
f ヨーロッパ自由貿易連合
g ギリシア
h サッチャー
i マーストリヒト条約
j アフリカ連合(AU)