突然ですが、皆さんは 野球の監督がユニホームを着ている理由がお分かりでしょうか?

他のスポーツでは監督やコーチが選手と同じユニホームを着ていないので、この事に疑問を持った方は多いだろう。

これは野球の起源、そしてその時期が影響している。元来、 野球というスポーツは1839年、ニューヨーク近郊のクーパーズタウンという町で生まれた。1842年に世界初の野球チーム「ニッカーボッカー・ベイスボール・クラブ」が誕生する。

この頃は監督だけという専門職はなく、選手が当たり前のように監督を兼ねていた。今で言う「プレーイング・マネージャー」が普通だったのである。

そして日本に野球が来たのは1871年、アメリカの影響で日本の野球チームも当然プレーイング・マネージャーが普通なのであった。

NPBの設立はそれから60年以上経って1936年なのだが、その頃になってもほとんどのチームでプレーイング・マネージャー制は残っていた。

今では むしろ監督が選手を兼ねる事が珍しくなってしまったが、プレーをしない監督であってもユニホームを着る習慣だけは残った、という事である。着衣の伝統だけが継承されたという事なのだろう。

アメリカでは、コニー・マックという人物がメジャーリーグでなんと53年間も監督をしていた、という。在任期間が長いだけあって、3731勝3948敗という 勝ち星も負け星も メジャーリーグ記録の保持者である。この方は1800年代後期(現・パイレーツ)から1900年代(現・アスレチックス)にかけて活躍されたのだが、その彼も最初はプレーイング・マネージャーだったのだそうだ。

選手を引退し、監督Onlyになった時にこのマックさんはスーツに着替えネクタイを締めてベンチに入り 指揮を取った、という逸話の持ち主である。これがおそらく野球史上唯一のユニホームを着用しない監督だったということかもしれない。結局このスーツスタイルはそれ以降、浸透する事はなかった。

コーチも含めて、選手と同じユニホームを着る事は他のスポーツから見れば、異様に映るかもしれない。2020年のオリンピックでは初めて野球を観るという海外の方もいらっしゃると思う。皆さんも、もしその謎について聞かれるようなことがあったら、この「プレーイング・マネージャー」の歴史を思い出してみてください。

さて、日本でプロ野球界最初の監督と言えば、それはもちろん、巨人軍の監督となる。何しろ、NPBの旗揚げチームなのだから、否が応にも当時の監督が「日本初」となるわけだ。

三宅大輔さんという人が 巨人軍、最初の監督なのだ。2代目が浅沼誉夫さん、そして、3代目が藤本定義さんで4代目が史上初の3冠王、中島治康さんだ。

しかし、読売巨人軍の公式記録では最初の監督は藤本定義さんになっている。なぜ、巨人軍が三宅さんと浅沼さんが監督だった事実を消したいのか理由は分からないがオフィシャルでは そうなっている。

タイガースの初代監督は森茂雄さんだ。そして12代と14代監督に 藤本定義さんが就任している。

私は 時々「 巨人と阪神で四番を打った人物」と持ち上げらているが、とんでもない、巨人と阪神で監督をした人物がいるのだ。

しかも、藤本さんは 1962年と1964年に タイガースをリーグ優勝に導いている。タイガースは 1950年の2リーグ分裂後、たった 5回のリーグ優勝の中で 2回も優勝した監督なのだ。

もちろん、藤本さんは1リーグ制ではあったが、巨人軍でも優勝している。つまり、この藤本定義さんという人は巨人軍とタイガースで監督をしただけではなく、両チームとも優勝をさせたとんでもない監督なのだ。

今では当たり前になった「投手のローテーション」を初めて本格的に導入したのも藤本さんだ。62年には 小山正明さんや村山実さんを軸に、64年には ジーン・バッキーを軸に優勝を果たした。また、プロ野球選手としての経験はなく、一軍で監督として優勝した唯一の人物である。

こんなにも凄い人物、藤本定義さんを是非ブログ読者の皆さんに知ってもらおうと、今日のブログネタを書き終えたとき、スタッフからメールが届いた。

読んでみて、汗が噴き出た。
「今日は分散的注意のネタですね」、と。

やっちまった!!

すっかり先週告知したのを忘れていました。とはいえ、これから講演の仕事があり、流石に書き直す時間はありません。おっちょこちょいですいませんが、「分散的注意」のネタは来週に回させていただきます。


さて、先週のタイガース、大山がやってくれた。

初ヒットが逆転のホームランとはまさにド派手なデビューだ。
大山とは 昨年の12月に栃木県の小山市で会っている。私の印象は 真面目な好青年だった。

2月のキャンプも3月のオープン戦も 大山なりに頑張っていた。身体の回転もスムーズで それに伴い スイングスピードも 外見よりもある。

ただ、3塁というポジションは 鳥谷を筆頭に 陽川や糸原と強敵が多く、出場機会をどのくらい与えて貰えるのだろう、と心配していた。まさか、1塁手としてデビューするとは考えもしなかった。

原口や中谷、新外国人のキャンベルを押し退けて 先発出場するとは 開幕当初は 考えもつかなかった。逆に考えれば、原口や中谷、キャンベルが不調だったので 大山に出場機会が与えられたのである。

原口は レギュラーになるチャンスを失ってしまった。中谷もしかり、キャンベルに至っては ここへきて新外国人・ロジャースが加入すれば、解雇すらもあり得る。

プロ野球の世界は 自分がチャンスを逸すれば、他の選手にチャンスを渡す事になる厳しい世界だ。大山は このチャンスをモノにする力があれば レギュラーになれる。同時に、その陰で 原口や中谷は チャンスを失うだけではなく、ファーム(2軍)へ行く事になるという訳だ。

私は 地元小山市で会ったという事もあり大山は応援していた選手だが、それは原口や中谷にも言える事、思いは複雑だ。大山がレギュラーとなれば 1塁しか守れない原口の出場回数は確実に減るだろう。改めて、厳しい世界だと認識した一週間だった。

とはいえ、大山には毅然と原口や中谷に引導を渡す事が自分の生きる道である、と言いたい。連敗を止めたタイガース、今週は 期待している。