私は毎朝6時には目がさめる。大阪滞在中ならば、起きるとまずコンビニに行き、お世話になっているスポーツ紙、「スポニチ」とホットコーヒーを買うのが日課である。
先日、いつものようにスポニチとコーヒーを買おうとレジに行くと、20歳前後の女の子がどういうわけか会計に戸惑って作業が停滞してしまった。すぐに近くにいた25歳前後の女性従業員もフォローに回るのだが一向に解決しない。
5分ほど経っても解決の気配が見えない。コーヒーとスポニチの会計ごときに5分も待たされれば さすがにイラっとしてくる。あたふたしている女の子の胸の名札を見ると外国の方で、フォローに回った女性も名札を見ると外国の方だった。名前から推測すれば二人とも東南アジアの方だと思う。
しかし、たとえ外国の方とはいえ、この程度の会計をスムーズにできないのは問題がある。たまりかねた私が「早くしてもらえませんか?」と言おうとしたその時、女の子の方から、申し訳なさそうに「あのぉ、すみません、スポニチって スポーツニッポンですか?」と問いかけてきたのだ。
ハッとした。
つまり、レジ上では「日刊スポーツ」だとか「デイリースポーツ」だとか各新聞の正式名称が書いてあるボタンがあって、そこには「スポーツニッポン」のボタンもあったのだろう。ところが、紙面には「スポニチ」と大きく書かれている。なので、この間ずっと 「スポニチ」のボタンを探して悪戦苦闘していたというわけなのだ。
そうとわかると、それまでイライラして文句の一つや二つでも言ってやろうとしていた自分を恥じた。日本に来て間もない外国の方に、スポニチ=スポーツニッポンなんて分かるはずがない。
私は自分のスーツの胸に東京オリンピックのピンバッジをつけている。これをつけている思いというのは、世界から来る人々を迎え入れる意気込みでもある。こういうことで相手の立場に立って考えてあげられなければ「お・も・て・な・し」なんてできる訳がない。
東京オリンピックの成功を願っているひとりとしてこのエピソードはとても勉強させられた出来事だった。
さて、今週のタイガースは あまり良い事がなかった。
その象徴となったのが鳥谷の死球だろう。顔面にボールが当たるという とても 衝撃的な死球だった。
プロの打者がストレートを待っている状況では、顔面にボールが当たる事は避けられる。しかし、吉川のように大きなカーブがある投手の場合、カーブに照準を合わせた時、ストレートが抜ければ今回のように大事故になりかねない。
1987年から1990年に阪神タイガースで活躍したマット・キーオという投手がいた。この投手のカーブが もの凄く曲がる「おばけカーブ」だった。伝説のカーブで 今でも その映像は私の頭の中に残っている。
よく「対決した投手の中で 凄い投手は誰ですか?」と聞かれることがある。私の答えは決まっていて、「ストレートなら 藤川球児、スライダーは 伊藤智仁、フォークボールは 大魔神・佐々木主浩、シュートは川崎憲次郎、チェンジアップは グライシンガー、そしてカーブは マット・キーオ」と答えている。
私と同じ時代のプロ野球選手ならキーオのカーブは覚えていると思う。彼が来日した年、右打者のほとんどがそのカーブに屈伸運動をする格好をしてしまうのだ。その理由はカーブの初動が頭に向かって来るので危険を察知して反射的にしゃがんでしまうのだ。大きくのけぞる打者もいた。
しかし、いずれの場合も、そのボールは大きく曲がり最終的にストライクゾーンに収まってしまう。思わずしゃがんだり、のけぞったりしながら、審判に「ストライク」とコールされてしまう。屈辱ではあるが、プロの目をもってしてそこまでさせるほどのカーブだという事だ。
これが左打者なら攻略する事もできたと思う。しかし、右打者は どうにもならなかった。
そんな中、89年、ジャイアンツに井上真二という右打者の外野手が頭角を現していた。この年 5月3日に タイガースの池田親興投手からプロ入り初本塁打を打ち、オールスター戦にも出場し、新人王の呼び声も高かった選手だ。
当時のジャイアンツのメンバーには 原辰徳氏や中畑清氏、山倉和博氏や蓑田浩二氏など主力選手に右打者が多く、軒並みマット・キーオを大の苦手としていた。原因は言うまでもなく、おばけカーブで 彼ら主力ですら、屈伸運動の格好をさせられるという状態であった。
8月31日の巨人対阪神戦、タイガースの先発投手はマットキーオだった。先発出場の井上真二にコーチから「絶対、逃げるなよ」と指示があったという。キーオのコントロールは まずまずで 抜け球も無く、頭付近から来るボールは カーブしかないと踏んでのことだ。
しかも それが おおかた最終的にはど真ん中になる。そんな好球に対してケツを引いたようなみっともない格好のバッティングはするな、という意味もあったのだろう。なにしろ、頼りの主力ですら期待できない状況だ。売り出し中の井上にかける期待も大きかったと思う。結果、井上は 危険を承知でよけなかった。
しかし、そのボールは意に反し、カーブではなくストレートのすっぽ抜けで、若き井上のこめかみを直撃してしまった。そのまま彼は担架で運ばれてしまうという悲劇が起こってしまった。
ケガから復帰し、再登録された井上に 以前のような躍動感はなくなっていた。その後は 出始めた頃のような活躍をする事もなく引退していった。
ケガが治っても 脳の中にある残像を消す事ができないとプロの世界で結果を残す事はできない。鳥谷にも同じ作業が待っている。右投手との対戦は問題ない。問題は左投手との対戦だ。
不幸中の幸いは比率的に言えば 左投手の方が少ないので 左打者の方が 右打者より こういう事は克服しやすい。鳥谷なら大丈夫だろう。
なんと言っても 顔面にボールが当たっても 次の試合に出場する勇気に敬意を表する。これは凄い事である。
今の時代、連続試合出場という記録の価値観には個人差がある。メジャーでは 連戦が続けば 主力選手を休ませるケースが多い。連続出場よりも長期安定を求める考え方を支持しているのだろう。タイガースでも福留を休ませながら起用している。
本来なら今回の鳥谷のケースもケガを治す事を優先させ、10日間ぐらい登録を抹消する事だって考えられたはずだ。また、チーム全体のことを考えれば 連続試合出場を優先し、1打席だけ、鳥谷を代打で起用する事に異論を唱える人もいるかもしれない。
しかし、いずれにしても、凄い事であることに変わりない。あの死球を受けて次の日に打席に立つ精神力にはただただ感服する。記録がどこまで続くかは分からないが 鳥谷の事だ、引退まで続くのではないか。鳥谷の野球人としての目標が叶うように、と願っている。