家内の元気がなかったのでひとしきり慰めてたんですが、どうも効き目が薄かったものであきらめて仕事をしていたところ、横でfacebookにアップされてたワンコの癒し画像で思いっきり癒されてて、まあそんなもんなんだよね。こういうのを見ていると、Facebookで赤ん坊の写真とか、今日行ったカフェの写真とか、いくら丼なう!!とかあげてるのもまわりまわって誰かを癒してるのかも、そうならけっこう大したもんだなあ、とかそういうことを考えた。
確かにちょっとカワイイ。
俗にまみれた欲望に関して言えば、相当に強い方だと思う。お金持ちになりたいし、名声も欲しい。それは欲求として、確実にある。しかしながら、自分自身が本当にあこがれるものは、そのさらに先にあるものだろうな、という気はしている。
それはロマンというやつだ。
世間のものさしとは一線を画した、自分だけの格好良さ。憂いと哀しみに裏打ちされた、孤独のみを傍らに添えて、まだ見ぬものに手を伸ばすその姿勢だ。
それに関しては、beggar'banquetという方がgreeに書いていた「マンダム男の世界」という文章がとても印象に残っている。今ではもう削除されてしまっているが、昔の私のブログに引用文があったので、転載しよう。
『欲しいモノは、それがモノである限りなんの意味もない。変わりに欲しいのは、この世で唯一の奇妙な魂の形だ。想像力という厄介なものを持ってしまった人間にふさわしい、人間の尺度を越えた闇雲な何かなのだ。』
『僕に必要なのは、僕をいい気にさせる現世唯一功利主義ではなく、僕に言葉を降らせ、新しいアイディアでものを言わせる理想のヴィジョンである。』
ああ、これぞロマン。なぜかは分からないけれど突き動かされるもの。アマゾンの秘境にこの世でまだ誰も見つけていない花を探しに行く人が、いったい何を求めているのか、誰も理解できない。家族の制止を振り切って、アフガニスタンに写真を撮りに行くカメラマンが何を写したいのか、誰も理解できない。そこにあるのは、人間として生まれてからどうしても手放すことが適わなかった想像力がもたらした、闇雲な何か"what makes me crazy"なのだ。
私という人間の馬鹿さ加減の先にあるものを、少しでも正直に見つめたい。
そんなことを考えている。
それはロマンというやつだ。
世間のものさしとは一線を画した、自分だけの格好良さ。憂いと哀しみに裏打ちされた、孤独のみを傍らに添えて、まだ見ぬものに手を伸ばすその姿勢だ。
それに関しては、beggar'banquetという方がgreeに書いていた「マンダム男の世界」という文章がとても印象に残っている。今ではもう削除されてしまっているが、昔の私のブログに引用文があったので、転載しよう。
『欲しいモノは、それがモノである限りなんの意味もない。変わりに欲しいのは、この世で唯一の奇妙な魂の形だ。想像力という厄介なものを持ってしまった人間にふさわしい、人間の尺度を越えた闇雲な何かなのだ。』
『僕に必要なのは、僕をいい気にさせる現世唯一功利主義ではなく、僕に言葉を降らせ、新しいアイディアでものを言わせる理想のヴィジョンである。』
ああ、これぞロマン。なぜかは分からないけれど突き動かされるもの。アマゾンの秘境にこの世でまだ誰も見つけていない花を探しに行く人が、いったい何を求めているのか、誰も理解できない。家族の制止を振り切って、アフガニスタンに写真を撮りに行くカメラマンが何を写したいのか、誰も理解できない。そこにあるのは、人間として生まれてからどうしても手放すことが適わなかった想像力がもたらした、闇雲な何か"what makes me crazy"なのだ。
私という人間の馬鹿さ加減の先にあるものを、少しでも正直に見つめたい。
そんなことを考えている。
私は旅が大好きだ。
知らない場所へ行き、知らない人と出会い、知らない料理を食べ、知らないお酒を飲み、知らない場所で眠る。好奇心はどこまでも刺激され、安定と安心からは遠く離れ、圧倒的に孤独になれる。
そう、”新しいモノに出会うこと”が、旅が好きな理由の”外側”だとすれば、この孤独から生まれる”自分自身との対話”こそが”内側”だと言える。
また、何しろ、旅というのは一時的なものなのだ。何はともあれ。なので人々は - 少なくとも私は - 心おきなく孤独になり、自分との対話を楽しむことができる。同時に、知っているものがまわりに見当たらない孤独ににストレスを感じることなく好奇心を如何なく発揮できる。
なんといっても、それは旅なのだから。
知らない場所へ行き、知らない人と出会い、知らない料理を食べ、知らないお酒を飲み、知らない場所で眠る。好奇心はどこまでも刺激され、安定と安心からは遠く離れ、圧倒的に孤独になれる。
そう、”新しいモノに出会うこと”が、旅が好きな理由の”外側”だとすれば、この孤独から生まれる”自分自身との対話”こそが”内側”だと言える。
また、何しろ、旅というのは一時的なものなのだ。何はともあれ。なので人々は - 少なくとも私は - 心おきなく孤独になり、自分との対話を楽しむことができる。同時に、知っているものがまわりに見当たらない孤独ににストレスを感じることなく好奇心を如何なく発揮できる。
なんといっても、それは旅なのだから。
知らぬが仏なのか?
マクドナルドのハンバーガーが何故あんなに安く販売できるのか、というところをもっと真剣に考えた方が良い。という話をしていたときに、「知らない方が幸せだ」という意見があったので、ふと考えた。
情報弱者は、”知らない”ことを知らないので、彼らが知っていることが彼らの世界の全てだ。なので知っていることで見えてくる世界を想像すらできない。それはそれで幸せであろう。。という考え方なのだろう。
村上龍の”歌うクジラ”に出てくる、羊バスの居住地域に何世代にも渡って隔離された人々に対しての言及が、まさにその視点からのものであった。
僕はそこで、村上春樹の小説の中でのエピソード(忘れたので調べてみたら、「アフターダーク」だった。)、”ハワイに流れ着いた3人兄弟の話”を思い出した。
-quote
「神様が言ったとおり、三人の兄弟は海岸に三つの大きな岩を見つけた。そして言われたように、その岩を転がして行った。とても大きな重い岩で転がすのは大変だったし、ましてや坂道を押して登るのはえらい苦労だった。いちばん下の弟が最初に音をあげた。
『兄さんたち、俺はもうここでいいよ。ここなら海岸にも近いし、魚もとれる。じゅうぶん暮らしていける。そんなに遠くまで世界が見れなくてもかまわない』
といちばん下の弟は言った。上の二人はなおも先に進み続けた。しかし山の中腹まで行ったあたりで次男が音を上げた。
『兄さん、俺はもうここでいいよ。ここなら果物も豊富に実っているし、じゅうぶん生活していくことができる。そんなに遠くまで世界が見れなくてもかまわない』
いちばん上の兄はなおも坂道を歩み続けた。道はどんどん狭く険しくなっていったけれど、あきらめなかった。我慢強い性格だったし、世界を少しでも遠くまで見たいと思ったんだ。そして力の限り、岩を押し上げ続けた。何ヶ月もかけて、ほとんど飲まず食わずで、その岩をなんとか高い山のてっぺんまで押し上げることができた。彼はそこで止まり、世界を眺めた。今では誰よりも遠くの世界を見渡すことができた。そこが彼の住む場所だった。草も生えないし、鳥も飛ばないような場所だった。水分といえば氷と霜を舐めるしかなかったし、食べ物といえば、苔をかじるしかなかった。でも後悔はしなかった。彼には世界を見渡すことができたからだ・・・。というわけでハワイのその島の山の頂には、今でも大きな丸い岩がひとつぽつんと残っている。」
-unquote
食べ物に困っても、氷と霜を舐めて渇きを癒すことになっても、遠くの世界を見渡したい。そのように望む心の動きこそが、幸せになるための条件ではないか。もしかすると山頂の彼の頭上には鳥が飛んでいるのかもしれない。ならば次生まれ変わったら鳥になりたいと望む、その心こそが。
うまく説明できないが、今はそんなふうに考えている。
マクドナルドのハンバーガーが何故あんなに安く販売できるのか、というところをもっと真剣に考えた方が良い。という話をしていたときに、「知らない方が幸せだ」という意見があったので、ふと考えた。
情報弱者は、”知らない”ことを知らないので、彼らが知っていることが彼らの世界の全てだ。なので知っていることで見えてくる世界を想像すらできない。それはそれで幸せであろう。。という考え方なのだろう。
村上龍の”歌うクジラ”に出てくる、羊バスの居住地域に何世代にも渡って隔離された人々に対しての言及が、まさにその視点からのものであった。
僕はそこで、村上春樹の小説の中でのエピソード(忘れたので調べてみたら、「アフターダーク」だった。)、”ハワイに流れ着いた3人兄弟の話”を思い出した。
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「神様が言ったとおり、三人の兄弟は海岸に三つの大きな岩を見つけた。そして言われたように、その岩を転がして行った。とても大きな重い岩で転がすのは大変だったし、ましてや坂道を押して登るのはえらい苦労だった。いちばん下の弟が最初に音をあげた。
『兄さんたち、俺はもうここでいいよ。ここなら海岸にも近いし、魚もとれる。じゅうぶん暮らしていける。そんなに遠くまで世界が見れなくてもかまわない』
といちばん下の弟は言った。上の二人はなおも先に進み続けた。しかし山の中腹まで行ったあたりで次男が音を上げた。
『兄さん、俺はもうここでいいよ。ここなら果物も豊富に実っているし、じゅうぶん生活していくことができる。そんなに遠くまで世界が見れなくてもかまわない』
いちばん上の兄はなおも坂道を歩み続けた。道はどんどん狭く険しくなっていったけれど、あきらめなかった。我慢強い性格だったし、世界を少しでも遠くまで見たいと思ったんだ。そして力の限り、岩を押し上げ続けた。何ヶ月もかけて、ほとんど飲まず食わずで、その岩をなんとか高い山のてっぺんまで押し上げることができた。彼はそこで止まり、世界を眺めた。今では誰よりも遠くの世界を見渡すことができた。そこが彼の住む場所だった。草も生えないし、鳥も飛ばないような場所だった。水分といえば氷と霜を舐めるしかなかったし、食べ物といえば、苔をかじるしかなかった。でも後悔はしなかった。彼には世界を見渡すことができたからだ・・・。というわけでハワイのその島の山の頂には、今でも大きな丸い岩がひとつぽつんと残っている。」
-unquote
食べ物に困っても、氷と霜を舐めて渇きを癒すことになっても、遠くの世界を見渡したい。そのように望む心の動きこそが、幸せになるための条件ではないか。もしかすると山頂の彼の頭上には鳥が飛んでいるのかもしれない。ならば次生まれ変わったら鳥になりたいと望む、その心こそが。
うまく説明できないが、今はそんなふうに考えている。
やさしさとは何か、先ず、自分が相手からされたいことを相手に対してする。そしてされたくないことをしない。さらに一歩進んで、相手がされたいこと、されたくないことを”想像”すること。これが大事で、また難しい。相手と自分が同一でない以上、自分がされたいことと、相手がされたいことに乖離があるのは当然で、その違いを補うのは、”想像力”しかない。
さらにもう一歩考えを先に進めると、相手がされたくないことを想像した上で、しかしそれが相手のためになることであれば、あえて行う。相手がされたいことを想像した上で、しかしそれが相手のためにならないのであれば、あえて行わない。これがさらに難しい。相手の欲求に対してネガティブな行動になるからだ。
これら3つの兼ね合いは微妙な問題だ。想像はあくまでも想像でしかないし、相手の欲求に対してネガティブな行動を起こすことが是である確信を持てる場面はとても稀である。
しかしながら、自分の行動の選択肢は多いに越したことはないし、その礎になっているのは”想像力”であることは間違い無い。あとは自分が自信を持って選択を行えるような人生を歩んでいるかどうかにかかっている。すなわち、自分自身に誠実であるかどうかだ。
それが結果的に相手に資することになっているかどうかは、また別の話だけれど。
さらにもう一歩考えを先に進めると、相手がされたくないことを想像した上で、しかしそれが相手のためになることであれば、あえて行う。相手がされたいことを想像した上で、しかしそれが相手のためにならないのであれば、あえて行わない。これがさらに難しい。相手の欲求に対してネガティブな行動になるからだ。
これら3つの兼ね合いは微妙な問題だ。想像はあくまでも想像でしかないし、相手の欲求に対してネガティブな行動を起こすことが是である確信を持てる場面はとても稀である。
しかしながら、自分の行動の選択肢は多いに越したことはないし、その礎になっているのは”想像力”であることは間違い無い。あとは自分が自信を持って選択を行えるような人生を歩んでいるかどうかにかかっている。すなわち、自分自身に誠実であるかどうかだ。
それが結果的に相手に資することになっているかどうかは、また別の話だけれど。
どんなに辛い状況でも、そこに美学があれば、耐えられる。この言い方は極端かもしれないが、似たような状況はままあると思う。その美学は、飽くなき理想の追及かもしれないし、ままならない自分を取り巻く環境に対する諦めとそこにいる自分に対しての同情かもしれない。
「自分に同情するな。」
村上春樹の代表作「ノルウェイの森」で、永沢さんは"僕"にそう言った。彼はまごうことなく前者であった。
僕はずっとそんな生き方に憧れてきた。
でも最近思うのだ。僕が憧れていたのは、自分に同情しない永沢さんが昔の恋人が自殺した ことを知り、"僕"に宛てた手紙の中で見せた、最初で最期の人間らしさだったのではないかと。
「ハツミの死によって何かが消えてしまったし、それはたまらなく哀しく辛いことだ。この僕にとってさえも」
自分の哀しさと辛さを"僕"に対して表明せずにはいられなかった彼の弱さ、この時初めて彼の人間性に血肉が宿る。
意志の強さを肯定せざるを得なかった哀しみの中に、人間らしさはほとばしる。僕はそれを自分に対する同情と片付けることはできない。例えそれが矛盾と弱さの表出にすぎなくても、少なくとも彼は"求めた"のだから。
「自分に同情するな。」
村上春樹の代表作「ノルウェイの森」で、永沢さんは"僕"にそう言った。彼はまごうことなく前者であった。
僕はずっとそんな生き方に憧れてきた。
でも最近思うのだ。僕が憧れていたのは、自分に同情しない永沢さんが昔の恋人が自殺した ことを知り、"僕"に宛てた手紙の中で見せた、最初で最期の人間らしさだったのではないかと。
「ハツミの死によって何かが消えてしまったし、それはたまらなく哀しく辛いことだ。この僕にとってさえも」
自分の哀しさと辛さを"僕"に対して表明せずにはいられなかった彼の弱さ、この時初めて彼の人間性に血肉が宿る。
意志の強さを肯定せざるを得なかった哀しみの中に、人間らしさはほとばしる。僕はそれを自分に対する同情と片付けることはできない。例えそれが矛盾と弱さの表出にすぎなくても、少なくとも彼は"求めた"のだから。
