ひろです
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今日のマヤ暦
本日10月19日
KIN254 音7
KINとは?
イーッシュ 白い魔法使い
エネルギーのキーワード
最後までやり遂げる
イーッシュ(白い魔法使い)は
情に厚く、のめり込むぐらい尽くしてしまう人。
いつもベストを目指しています。
集中すると実りやすい人です。
音7の得意なことは自己探求。
強く思うことが大切です。
今日は最後までやり遂げてみましょう
さて、なぜ私はいわゆるスピリチュアルなことで
みさなんのお手伝いをしてきたいと思ったのか
について、不定期にお話ししていきたいと思います。
読んでいただけたら、とっても嬉しいです
長い話しになります。
おばあちゃんと2人で生活することにも
お父さんが1日おきに帰ってくる生活にも
慣れてきたころ・・・
段々とおばあちゃんが弱っていきました。
いつの時かは、覚えてないのだけど
洗面所の電球を、脚立に乗って変えていたおばあちゃんが
どーんと、お風呂場に倒れました。
床がタイル貼りの床に・・・
今思えば、その転倒で頭部を強打したおばあちゃんは
多分《硬膜外血腫》になったんではないかと思いますが・・・
当時がまん強かった明治生まれのおばあちゃんは
病院に行ったりもせず
挙句、段々と料理や家事をすることを
しなくなってました。
やる気もなく、いつも寝ていて。
多分わたしが小学校6年生のころ
カップラーメンがあって、
お父さんが帰ってこない夕飯はいつも
「赤いきつね」ばっかりでした。
ある日、やかんでお湯を沸かして
カップラーメンに注ごうと思った時
やかんがわたしの右足首にかかって
大やけどをしたことも・・・
それまでは、見よう見まねで
わたしは料理をしていたけど
やけどしてから、料理するのが怖くなり
どんなに遅くなっても
お父さんが帰ってくるまで夕ご飯は食べずにいて
お父さんは、夕飯を作るように
なっていました。
そしてみるみる痩せていってたなぁ・・・・お父さん。
そんな生活は長くは続かず。
わたしが中2になるころ
わたしとおばあちゃんは
お母さんとおとうとがいるマンションの
隣の棟に引っ越しました。
引っ越したら、おばあちゃんの言動は
ますますおかしくなっていきました。
私たちが住んでいたのは1号棟
お母さんたちが住んでいたのは2号棟
わたしの部屋は北側で
2号棟が見える。
おばあちゃんはわたしが学校に行ってる時
毎日毎日わたしの部屋から
2号棟のお母さんの家を
監視するようになっていました。
引っ越した当初は
お母さんは、わたしとおばあちゃんに
夕飯を作って持ってきてくれていました。
でも、ウチに来た時に
「白髪が気持ち悪いの」
と言って、いわゆる便所スリッパで
ウチを歩くお母さん。
そのころには、そのお母さんは
継母だということも、わたしは分かっていたし
思春期も相まって
憎しみしかなかったな。
どんどん変なことをするおばあちゃん。
ウチにきて「気持ち悪い」を連発する継母。
それをどーにかするように、必死に訴えていても
真剣に取り合ってくれない父親。
わたしの思春期は、ある意味地獄でした。
でも、そんな中でも
とりあえず友達付き合いはなんとか出来たし。
高校生になったら、彼氏も出来たりして
朝帰りしても、怒る人いなかったし。
継母とは縁切っていたし(ご飯は持って来なくなった)
父親は相変わらず海外出張が多く
わたしに生活費を渡してくれていて、
自由にできたし、怒られなかった。
おばあちゃんは認知症状が進んでいたから
わたしを「ひろこ」と認識できない時もあって
逆に家に帰ったら
「アンタは誰だ!!!」
と追い出されたりもしたな。
地獄と思っていた私生活でも
彼氏がいたり
幸い高校生の時の女の先生がとてもいい人で
夜、わたしを泊めてくれたりして
なんとか毎日を生きていました。