季節は変わり、春はもうそこまで来ている。
桜のつぼみも膨らんで、今か今かと咲く時を待っている。
いつのまにか、日もすっかり伸びたし、
公園に植わっているチューリップの芽は日に日に伸びている。
何より、
朝起きて窓を開けたときの空気が違う。
春はそこまで・・
でも、
なんだかとってもつらいんです。
悲しいんです。
また、あなたのいない桜の季節がめぐって来た。
あなたがいなくても季節は確実に変わっていく・・・
祥月命日が近づいているからか、私の心は今ものすごく繊細になってる。
春って、一年のうちで一番生命を感じさせる季節よね。
いっせいに草木が芽吹き、
花を咲かせ、
鳥たちがさえずり、
眠っていたもの全てがいっせいに目覚め、
活動を開始する季節よね。
それなのに、
私の夫はそれと逆行するように、
その人生に幕を閉じてしまった。
あの日のことを鮮明に覚えている。
彼が亡くなった日の朝、
呆然としながら窓を開けたら、
目に飛び込んできたのは色鮮やかなチューリップの花々。
それは私が前年の秋に丹精込めて庭に植えたもの。
花が好きな夫のために、
富山産の少し高い球根をいくつも買って、
前年の秋に植えたの。
その後、夫の体調がどんどん悪化し、
植えた球根のことはもうほとんど忘れていたし、それどころではなかった。
それが、気づいたらいつのまにか芽を出し、すっかり大きくなっていて、
夫の命が尽きるのに合わせたかのように一斉に花開いた。
球根を植えた後は放りっぱなしだったのに…
いったいいつのまにこんなに成長していたのか…
全く気付いていなかった。
そして、
よりによって、夫が亡くなるのと同時にこんなに鮮やかな姿を見せるなんて…
大輪の見事なチューリップの花々を見ても、感動と言うより悲しかった。
涙がとめどなくあふれた。
今頃こんなに咲いたって、もう遅いのよ。
こんなにきれいに咲いたって、もう彼は死んじゃったのよ。
どうしてこんなに綺麗なの。
こんなにお花がきれいに咲いたのに、もう彼は見ることができないのよ。
あの時の虚しいような、絶望したような気持、
今でも忘れることができない。
見せてあげたかった。
見せてあげたかった。
こんなに綺麗に咲いても、もう遅いのよ。
一人で見たってしょうがないのよ。
彼は死んでしまったのに、
どうしてこんなに綺麗に咲いているのよ。
あれから私は引っ越しましたが、
今でもあの日の
絶望的な気持ちで呆然と眺めた、朝の庭の光景をはっきりとおぼえています。
私にとって、
桜は辛いんですが、(過去のブログで書きました)
チューリップ、いや、春という季節そのものが、
とってもつらいんです。
今日は随分弱気ね。
今日実は、私の勤めている塾の卒業生(小学6年生)の集まりがあって、
まさに夢・将来・希望の象徴とでもいうべき子供たちに触れたおかげで、
かえって帰りには寂しくなっちゃった。
ご父兄からもたくさん感謝されて、
今日は充実した日だったはずなのに、
その喜びを分かち合う相手がいないことが、寂しさにさらに拍車をかけ、
父兄と生徒からの感謝の手紙を読みつつスパークリングワインを開け、
勢いに任せてこんなブログを書いちゃった。
(つまり少々酔ってます)
あなたがいなくても明日はまた来る。
あなたのいない明日を私は生きていく。
泣くだけ泣いたらまた気分を変えて、
明日もしっかり生きていくのよ!