仕事が休みだったのでお墓参りに行ってきました。

 

道中長いので、電車の中で何か読むものをと思い、

本棚の中から適当に文庫本を選んで、バッグに入れて出かけました。

 

アルフォンス・デーケン著『死とどう向き合うか』

 

これ、亡き父の書斎の本棚にあった本です。

年末に帰省した時に持ち帰ってきました。

 

私の父は読書家で、多くの本を残して逝ってしまいましたが、

実家ではいまだ誰も手を付けていません。

本だけではなく、服も何もかもそのままになっています。

父の思い出があるから、という感傷的な理由ではなく、

ただ単純に、誰も片付けないからなのです。

母は片付けがすごく苦手。

嫁である義姉は、舅の物には一切手を付けられません。

ってことは、父の遺品整理、いずれ私の役目になりそう。

というわけで、帰省する度私は物置と化してる書斎を少しずつ片付けてます。

ついでに何冊か、少し興味を持った本は私が失敬しています。

 

で、上記の本ですが、

「へー、お父さん、こんな本読んでたんだ」と思い、いただいてきました。

そのまま放置してたんだけどね。

 

 

氏は有名な方ですから、死別経験者の皆様ならなおのこと、ご存知の方もいらっしゃるとは存じますが、

改めてここに少しご紹介しますね。

 

アルフォンス・デーケン(1932~2020)

ドイツ生まれ。

イエズス会司祭、哲学者、上智大学名誉教授。

1959年に来日。

以後主に日本において活躍。

当時日本ではタブー視されていた「死」を扱い、「死生学」を日本において広めた。

1982年ごろから死生観、死の準備教育を提唱。終末期医療の改善やホスピス運動の発展などに尽くす。

著作多数。

数々の賞を受賞。

(主にウィキペディアより)

 

恥ずかしながら、私はこの方の存在をよく知らなかったのです。

夫を亡くした当時、グリーフケアについて調べていて、

確かこの方の名を目にしたのが最初。

上智大学でグリーフケアの講座があることを知って、そのつながりで知ったの。

 

 

お墓参りに向かう電車の中で読んでみました。

まだ半分も読んでないけれどね。

 

【感想】

すーっと、全てがすんなり胸に落ちました。

一語一句にいちいち納得。

経験者だからこそ、全てに共感し理解できます。

 

とってもわかりやすい書き方で、非常に読みやすかった。

電車の中での時間潰しのつもり(失礼ね)で持って行ったのに、読みふけってしまったのよ。

そして思った。

この本を、もっと前に読んでおけば…ってね。

 

夫が元気でいた頃に、もっと先の事を真剣に話しておけばよかった。

先の事とはつまり、どちらかが旅立った時の事。

毎日明るく楽しく暮らすことももちろん大切だけど、

私達はそればっかじゃなかったかしら。

これじゃアリとキリギリスじゃない?

イソップ物語も奥が深いわね。

どんなに今が楽しく二人とも元気であっても、いずれは必ずどちらかが先立つ。

どんなに仲の良い幸せなご夫婦にも、その時は必ず訪れる。

よくよく考えてみれば当たり前のこと。

二人同時にぽっくり逝くなんて、事故でもない限りまずない。

その時のことを真剣に話しておけばよかった。

 

「死」について話すなんて、縁起でもない?

「死」って、そんな悪なの?

誰にでも平等に絶対訪れるものなのよ。

「死」があるから「生」があるのよ。

「死」と向き合うって、すなわち「生」を見直すことなんじゃないの?

当たり前のように感じている「生」を見つめ直すことでもあるんじゃない?

 

そんなこと話すの暗い?

せっかく楽しく愉快に暮らしているのに、水を差すようなものだと思う?

それって……、

ただ目を背けているだけなんじゃないの?

 

 

 

夫も読書家でしたが、この著者の作品に関しては読んだかどうかはわからない。

でも、もし、二人して読むことがあって、

何かそれについて話すことがあったら、

もしかしたら、

もう少し病気についての受け止め方が変わっていたかもしれない。

私も、もう少し違った受け止め方をしたかもしれない。

今、こんなに長く苦しむこともなかったかもしれない。

(弁護士さんの出番もなかったかもしれない。)

 

じゃあ、

これを(おそらく)読んだお父さんはどうだったんだろうか。

母が読んだとは思えないのよね…

父は、いつ頃これを読んだのだろうか。

いずれ自分にも訪れる死を一人で考えていたのだろうか。

怖かったのかな…

孤独だったのかな…

 

そんなことを電車の中で考え、お墓参りに行ってきました。

 

 

 

私は「仏花」は買わない。

だって、生きていた時一度でもお家の中に仏花を飾ったことある?

元気だった頃のようにしてあげたいから、

かわいいミニブーケを二つお供えしました。

やさしいピンク系のバラやガーベラやスイートピー。

そしたらまるでお誕生日会のように、パッとそこだけ華やかになりました。

それを見たら、なんだかとても愛しくなって、

離れがたくなって、

墓石に刻まれた、まだ真新しい夫の名前をそっと指でなぞったら、

涙がわっとあふれ、

立ち尽くしてしばし泣きました。

 

祥月命日が近いから、いろいろなことを思い出します。

 

 

 

そして、帰りの電車の中で思いました。

私もこれからの生き方、第二の人生を見つめなくては。

もう「○○さんの奥さん」という肩書は通用しないのだから。

他の誰でもない、

私個人になったのだから。

 

孤独を

受け入れて生きていかねば。