このところ、人に褒められることが続いていたので、

少し気をよくして、前向きになったような気がしていたけれど、

でも、やっぱり何かが違うの。

 

職場の人にはあれからも度々褒められています。

嬉しいことは嬉しいけれど、

でも、何というか、

一時的なものなのよね。

しばらくたつと、また元に戻ってしまう。

また元の世界に引き戻されてしまう。

 

褒めてくださった方には申し訳ないけれど、

やはり、

夫の言葉より私の心に深く響く言葉はないのかもしれない。

そして、

夫のことを思うと、いつもこんな事を考えてしまう。

 

 

どうして、あんないい人がこんなに早く逝かなければならなかったの?

だって、理不尽すぎやしませんか。

何一つ悪いことはしていない。

好奇心旺盛で、活動的で、

まだまだ生きてしたいことがたくさんあったのに。

それなのに、

どうして、あんなに苦しませて逝かせたの?

因果応報なんて言葉があるけれど、

あの人が一体何をしたっていうの?

これ、だれに聞けばいいの?

 

 

 

ブログを書き始めてもうじき2年が経ちます。

いざ書いてみると、夫の良かった面が改めてたくさん思い出される。

いや、私は夫のことを完全に理解してはいない。

一人の人間を完全に理解するなんて不可能だ。

それに、逝ってしまってから理解しようとしたって意味ないじゃない。

もう会えないのに、今さら遅いじゃない。

そんなの、生きているうちに、もっと相手ときちんと向き合っておかないといけなかったんじゃない?

そう思うと後悔で苦しくなる。

 

夫は善良な一市民で、

とても優しく、自然を愛する人でした。

文学、美術、音楽…

この世のあらゆる美しいものを愛する人でした。

物であれ心であれ、醜いものは憎み、遠ざける人でした。

「そんな物と接していると、自分が汚れてしまうような気がする」

と言っていました。

いつも、春の海のように穏やかでした。

私のことは本当に大事にしてくれました。

いつも思慮深く、何が本質かを考え、毅然と行動できる賢い人でした。

 

たばこを吸ったことはありません。

肥満とは無縁の体型でした。

運動が好きで、

学生時代は野球、

30過ぎてから空手を始め、

師範となって道場で教えたこともありました。

ジョギングも好きで毎日のように走り、

全国各地のマラソン大会にも出場していました。

筋トレで鍛えた筋肉は見惚れるほどで、

年齢よりもはるかに若々しかったのに。

 

規則正しい生活を心掛け、

体は丈夫で風邪ひとつひかず、

私とは違い、頭痛や肩凝りとは無縁、

咳一つしたことがなかったんです。

 

体も心も健康そのもの。

本人も体の丈夫さには自信を持っていました。

それなのに、

どうして、癌になってしまったのだろう。

 

わからない。

 

納得がいかない。

 

いくら考えたって仕方のないことだけど、

でも、悲しくて悔しくてしようがない。

 

いったい、寿命って、誰がどうやって決めるの?

生まれたときから決められていた?

私はそんなの信じない。

あまりにも理不尽だと思う。

 

 

ウクライナを見て!

パレスチナを見て!

世の中には生きている価値などない悪党がごまんといる!

あんな輩がこの世にのさばっているというのに、

それなのに、それなのに、

どうしてあの人が、

よりにもよって、あの人が、

癌で苦しんで逝かなければならなかったのだろう。 

 

祥月命日が近づいているからなのか、

彼の最期の瞬間が時々フラッシュバックする。

そのたびに、

苦しくて、

悲しくて、

悔しくて、

どうしようもなく辛くなる。

 

満月を見ても、

夕日を見ても、

雨が降っても風が吹いても、

寂しくて寂しくて、

ただ涙が出る。

 

遺された私?

生きていくしかないでしょう?

私はいいよ、まだこの世で生きていけるから。

でも、死んでしまったあなたはどうなるの?

あなたはこれから何をして死んだ世界で生きていくの?

あなたはこれからあちらの世界で何をするの?

(自分でも何言ってんのかわからない)

 

私は私なりにこの世で一人、頑張って生きていくけれど、

でも、あなたのいないこの世界で、

こんなに頑張って生きてたって何の意味があるのかと思う。

 

時々すべてが虚しくなってしまう。