(やや仕事に関連した話になります)

 

中学受験って残酷だと思う。

 

大人の判断・基準で子供たちを振り分ける。

そこに情け容赦はない。

遊びたい盛りの子供たちが、遊ぶのを我慢し、

来る日も来る日も漬物石みたいに重いリュックを背負って塾に通い、

時には泣きながら勉強する。

テストに追いまくられ、親には勉強勉強と言われ、

家に帰っても夜12時位まで勉強する。

大学生よりもはるかに勉強する。

こんなに子供が勉強していいの?

(大きな声では言えないけれど、私が子供の時はちっとも勉強しなかったよ。)

 

 

ああ、それなのに、それなのに。

遊びたい盛りの3年間を勉強に費やしてきたのに、

一瞬にして、

ワンクリックで、

いとも簡単に拒まれてしまうのだ。

 

「不合格でした」と。

 

今はほぼすべてネット上での合否発表なので、

合理的ではありますが、

なんとも無機質で冷たい感じがする。

 

コミュニケーションをとらなくてもよいし、無駄がないし、

ま、楽なんだろうけれど、

でも、その画面を見た瞬間、

いったいどれだけ多くの子供が傷つき大泣きしているか、ご存じないでしょうね。

ま、知らずに済むからこのシステムは楽でいいのよね。

 

人生初の試練

人生初の挫折

人生初の敗北感

 

サッカーの試合に負けたというのとはわけが違うよね。

何事も経験しないとわからない。

いくら教師が「受験とは厳しいものだ」と口を酸っぱくして言い聞かせても、

体験するまでわからない。

 

たかだか1回のテストでその日のうちに判別されてしまうの。

たった1点の差で判別されてしまうこともあるのよ。

1点 … そうね、漢字ひとつ間違えただけで、入学を拒否されるのよ。

 

落ちた子はどの子も泣きます。

もちろん男の子も大泣きします。

あこがれの制服を着て、あこがれの学校に通うのを夢見て、来る日も来る日も塾に通って勉強したのに、

その夢が一瞬にして崩れる。

大人だって泣きたいよね。

 

首都圏は受験戦争が過酷なので、

連日、午前午後と一日二回受験するのは当たり前で、

それが長い子だと6日位ずっと続く。

 

一日目:午前× 午後×

二日目:午前× 午後×

三日目:午前× 午後×

 

私だったらもう心が折れるよ。これだけ拒否されると。

(実際、心が折れかかる子が大半です)

 

四日目:午前× 

 

ここらで塾は奥の手を出し、なんとか一つは受からせようとします。

 

四日目:午後○ ←しかし志望校とは程遠い学校

 

五日目:×

 

ここで、耐えきれずついにリタイアというお子さんも出ますが…

 

六日目:×

 

これだけ×が続いているのに、あきらめず連続六日間受けるのは本当にすごいと思う。

もう、それだけで私は「よくやった!」とほめてやりたい。

成果が伴わず、すごく悔しい気持ちはよく分かる。

がんばった子には、その努力に見合った成果を出してあげたいと思う。

でも、そうはいかないのが受験なの。

そもそもこの世は理不尽なことだらけ。

あんなにいい人がなぜこんなに早くに逝ってしまうの?と思う方は多いでしょ?

いい子が受験で報われないのは、指導したこちらとしても本当に悔しいけれど、仕方がない。

 

でもね、受験で涙した多くの私のかわいい子供たちよ。

君たちの努力を私はちゃんと知っている。

いかに今までがんばって励んできたか、私がよく知っている。

この経験は絶対無駄にはならない。

人生はこれからなの。

大きくなったらわかるけど、こんなこと、挫折のうちにも入らない。

人生はこれから如何様にも切り開いていける。

それに、涙するほどの悔しさと絶望を味わった人は、それだけ人に優しくなれる。

これは絶対言える事なのよ。

君たちは人間として大きく成長したのよ、一回りも二回りも。

 

最後の授業でマーブル先生言ったよね。

 

「いい? おぼえておいて。たとえ受験に失敗したとしてもね、

 それで人生終わったわけじゃない!

 いくらでもやり直せるし、リベンジできるのよ。

 そこから気を立て直すのが大事なのよ!」

(まるで落ちる事前提のような話ね😓)

 

 

これは私の実感なの。

だって、私の夫は…

病と闘って闘って、闘って…

闘いに敗れて…

 

本当に人生が終わってしまったんだもん。

 

 

たとえ受験に失敗しても、未来があるあの子たちが本当に眩しく見えるよ。