夏風邪がまだ治りません。

 

持病の喘息も加わって、

発作のような咳がいったん出始めると、ゴホゴホそれはもう苦しい…

この猛暑でも外ではマスクもずっとしているから、苦しさが余計増します。

駅の階段上っただけでゼイゼイハアハアゲホゲホ

 

食欲は少し復活しましたけどね。

声を出す仕事なので、正直喉を休める暇がなく、声はかれっぱなし。

倦怠感もひどいです。

 

夏の風邪って最強ですね。知りませんでした。

 

でも頑張って乗り切りますよ。

同僚はずいぶん気遣ってくれるし、

実家からは、先日の救援物資に加え、

マーブルの好物『もち吉』のおせんべいも届いたしね。

 

 

ここまで体の不調が続くと、余計に気が滅入りそうなものですが、

今のこの私を引っ張り上げてくれるのは、ほかでもなく

 

子どもたち なんですよ。

 

私が日々格闘している、愛すべきサル軍団子どもたちなんです。

 

言っときますが、わたしは元々特に子供好きだったわけではありません。

特に、しつけの悪いガキ子供はだーいっ嫌いです。

例えばスーパーで、何かを買ってと床に寝転がって大声で泣き叫ぶガキ子供を見ると、跨いで踏んづけてやろうかと思いますし(実際にはしませんよ)

電車内で靴を履いたまま座席にのぼり、お菓子なぞを食べ始めるガキ子供を見ると、親の顔をガン見してやります(本人も睨みつけてやります)

 

私自身に子供はおりませんが、甥がまだ幼かった時、

じいじに甘やかされて我がままを言うようになった甥をピシャリと叱り、

おいおいと泣かしたことがあります(あれ以来私は「こわいオバチャン」なの)

 

で、私の教えている子らも、決して皆がみんな躾けのいい子達ではありません。

まさに、日々 格闘 です。

 

3時間半のこの夏期講習(これが一日に2本よ)を終えると、

まるでフルマラソンを完走したかのようにぐったりして、もう使い物になりません。

 

ま、子供たちも大変なんだけどね。

何と言っても「夏休み」なのに、朝から晩まで勉強させられて、

親の期待も一緒に詰め込まれた、漬物石のように重いリュックを小さい体に背負い、この暑い中毎日向かうのは、プール ではなく、塾なんだもんね。

 

「せんせい、せんせい」と、休み時間はまとわりつき、

勉強の質問 ではなく、私に話す内容は、

「××君がぼくにこうする、ああする。」

「○○君は、ぼくにこんなことしてくる。」

「△△君が私の方をじっと見てきて気持ち悪い。」

「おにぎり1個じゃ足りない」

・・・・・

 

子どもの特権、かな。

なんでもストレートに感情を出す。

思ったことを、拙い表現力ながら、精一杯全身で表わす。

子どもは「先生の方はなんだか具合が悪そうだ」とか、そういう配慮なんてしないよ。

子どもたちは、まだまだ自分が世界の中心にいるのだから。

みんなに自分の訴えを聞いてほしいんだから。

 

でね、そういう子供たちと向き合っていると、

こちらもだんだんそうなってくるのよ。

感情を隠しても伝わらない。

体裁を取り繕うなど、子供相手に無意味。

感情的になってはいけないけれど、どこか一枚表面の皮をはいで、言うならば裸になって向き合うのよね。

そういう人への向き合い方をしていると、

知らず知らずのうちに、パワーが充満してくるのよ!これ不思議だけれどね。

くったくたに疲れるはずなのに、逆にパワーをもらっている感じなの。

そのパワーってのは、夫を亡くした悲しみを吹き飛ばしてくれるようなものなの。

夫が亡くなった? もう、そんなこと構っちゃられない! 

今、何とかしなきゃならないのは、この生きている子どもたちなんだから!

ってな感じ。

 

夫は、今の私のこのような様子を見たらどう思うかな。

マーブルがここまでやるとは思ってなかったんじゃないかな。

安心してくれるかな。

 

私の脳裏には、どうしても消えない夫の最期の頃の残像があります。

それは、すっかり弱ってしまった夫の痛々しい姿で、

思い出すたびに、一瞬息が止まり、胸が締め付けられるようなたまらない気持ちになるけれど、

でも、このような仕事をしているとね、

不思議と、子供たちが、夫の生命を引き継いでいるような気がしてくるのよ。

 

血のつながりはなくってもね、

どこかで生命ってつながっているんじゃないかな。

この子達だって後何十年も経てば歳をとり、命の終わりは必ず来る。

夫のような病にかかる子も中にはいるかもしれない。

でもその頃にはまた次の世代が育っているはず。

 

それは太古の昔から繰り返されてきた人類の営み。

絶える命があれば育つ命もある。

当たり前のことだけどね。

そう考えると、夫の死は特別でもなんでもなく、

そのような生命の循環の一部であったに過ぎないと思える。

私もそうなのよね。

私だっていつかは命が尽きる。

でも、それは、生命である以上当然のこと。

 

夫の命は絶えてしまったけれど、

今、私は新しい生命を育てる仕事に携わっているんだ。

そんな気がしてくる。

 

まずは早く風邪を治さなくっちゃ。