何書いてるのかわかんなくなりましたがそのままアップします(笑)




時々、考えてしまう。

みつろうさんの記事で
ヘソノオムスビを読んで、
私の遠いご先祖さまは隠岐の前はどこから来たんだろう、とか気になった。

わかんないけど。
ルーツを知りたいな。

今さらながら、後鳥羽天皇は隠岐で亡くなられた(だから墓があるんじゃ。)と気付き(遅っ)
後醍醐天皇みたいに本土に戻られてなかったんだ。
また後醍醐天皇をぐぐってたら、
国分寺(いったことない。)に住んではったんやなー。へー。
国分寺見たら

【東寺真言宗】

総本山は東寺!

えーっ!繋がってた!

そうなんや。

ルーツを調べてたらいつの間にか、
後醍醐天皇考えてる。

人から神様になった有名な方は、
菅原道真さま、安倍晴明さま、
などたくさんいらっしゃるけど、
後醍醐天皇もビシッと神様になられると思う。思ってる。
後醍醐天皇が隠岐におられた時に、
もしかしたら、私のご先祖さまが何かお世話をしてたかもしれないって考えるととてもわくわくする。

隠岐島の島後西部中央くらい。
昔とそんなに変わらないかもね。

都万の方。(10年前)


隠岐は神話の島。
小さな島に日本にいる殆どの神様が祀られている。
そんな島の血を受け継いで生きている。
とても幸せなことだと思う。

ルーツの中のご先祖さまは
たくさんの神様と生きてきたはず。

子供の頃も若い頃も
神仏にもご先祖さまにも興味がなく、 
知るチャンスを逃してしまった。
無人で隠岐に行くと泊まっていた祖父母の家も漏電から火災になり残っていない。
みんな燃えて空に帰った。




焼失した祖父母の家。民宿やってたからものすごく広い。間取りも特殊。
夜は何にも見えない。闇。

思い出と記憶だけは
ずっと残っている。
床のキシミも、戸の閉めにくさも。
じいちゃんがいた頃の池の鯉も、
ばぁちゃんが畑で育てたスイカの味も。
雪が降ってソリしたことも。
蜘蛛の喧嘩も。
魚屋さんが来たことも。
となりに牛がいたのも。
なんにも変わってないはずなのに、

更地を見たときに胸がキューンとなった。
今でも涙が出る。

もう無いんだね。

娘は3回も隠岐に行ってる。


娘は2歳の時、あの家に泊まった。
祖母の葬儀で。
娘は当時、唯一のひ孫だった。
自死した従妹とも顔合わせした。
殆どの親族に会えたんじゃなかろうか。


2回目は6歳の時、まだ旦那の休みが一週間あった、レジャーで、あの家に。
車をフェリーに乗せて行った。
風呂が壊れててたらいにお湯と水入れて行水した。実家の母が来てくれて泊まれるように掃除してくれた。
滞在中、かなり世話になった。
この滞在中に従妹の墓参りと仏壇に手を合わせてきた。

3回目はおじの葬式。小3くらい?
この時は更地だったのでうちの両親と弟、私と娘でログハウスに泊まった。


そう思い出すと、
あいつ、すごいな。

持ってるな(笑)
行くべきときにちゃんと。
娘につれてってもらったんかな。


そんな話。



朝から頭が痛くて、
昨日あれだけ寝たのにまだ寝て、
寝すぎて頭痛いんじゃないかと思うくらい。
朝からクーラーかけてるけど
熱も出てたので薬が頭痛も和らげだらいいな。

娘は、ディでバーベキュー。
がっつり食ってこい。

旦那は猫背のリハビリで10:20予約だったのに10時に起きて「もう行かれへん!」言うてたけど20分に出ていった。
私のチャリで。

昼までに調子戻るかな。

エンジュさんの満月のヒーリングの好転反応らしくなにか捨てれてたら幸い。


大事な友達を自分の悪いところで遠ざけてしまったのをずっと悔やみ続けての満月。

どう転がれば好転なんだろう。


私は神仏と繋がりたいと思ってていいのか、とさえ考えてしまう。
ただの、神社仏閣好きになっちゃおうか。