ひろりんの日々~心の対話を求めて~

ひろりんの日々~心の対話を求めて~

精神対話士をめざして日々学ぶなかで思わされたこと、気が付いたことなどを徒然と語っています。

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人様と対話させて頂くとき大切だと言われる「受容」と「共感」。
「ええ、そうですね」
「うんうん、わかります」

私自身も、誰かに相談に乗ってもらうとき、そんな言葉をかけてもらうと、「理解してもらえた」と、心強さや安心感を覚えることができます。

けれど、この頃思うことなのですが、この「理解してもらえた」感。ひとつ間違えてしまうと、恐ろしい勘違いが生まれてしまうような気がします。

「この人なら自分を分かってくれる」
「いつも味方だから(何を言っても)大丈夫」

というような「依存心」や「過剰な期待」。言ってみるなら「甘え」など。そんな気持ちの温床になってしまうこともあるのでは……そんな風に思います。

精神対話士をめざして日々学ばされているなかで思うことは、「私たちはお相手の機嫌を好くするために存在するのではない」ということ。
「お相手にとってただ居心地の好い関係である」ことだけが目標ではないということ。
対話士とクライアントだけの世界で完結するのではなく、私たちを通じて、お相手が外の世界とつながるきっかけとなること。それが大事なのでは、と思わされているこの頃です。

そのためには、私たち精神対話士(アマチュアとはいえ)の一人ひとりが、開いた世界に向けて心を持っていることができたら、私たちにつながる誰かの心の橋渡しのような役目を、時として担うこともできるのでは、なんてことを考えています。