コラム・高橋大輔を導く『道』となった銅メダル | 大ちゃんを全力で応援

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フィギュアスケートの髙橋大輔くんへの
思いや気持ちを中心に書いていきたいと思います。




野口美恵さんのコラムから

http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201603240003-spnavi

高橋大輔を導く『道』となった銅メダル
写真で切り取るフィギュアの記憶



選手の数だけそれぞれの物語がある。笑顔、涙、怒り……こうした表情とともにこれまで多くの名場面が生まれてきた。後世まで脳裏に刻んでおきたいフィギュアスケートの記憶を写真で切り取る。


「高橋大輔 バンクーバー五輪(2010年)」




誰をも幸せにする銅メダル。それがあの、2010年バンクーバー五輪での高橋大輔の銅メダルでした。


 それは、まさに皆がつながっていくドラマでした。06年トリノ五輪で8位となり、「次の五輪こそメダル」と誓った高橋。ところが08年秋に右膝じん帯断裂の大けがを負い、08-09シーズンは完全に欠場しました。復帰できるのか、そして復帰したとしても五輪でメダルを狙うまでに持っていけるのか――。しかも、満身創痍(そうい)の高橋が狙う「五輪のメダル」は、日本男子にとっては未踏の地でした。


 1932年のレークプラシッド五輪に日本が初参加してから、メダルへの道のりは遠いもの。92年アルベールビル五輪で伊藤みどりが“日本初”となる銀メダルを獲得し、それを機会にジュニア選手の早期発掘・育成がスタート。その有望新人の第一期生が荒川静香で、多くの支援を受けながら06年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得しました。しかし男子のメダル獲得はありません。


 どうやったら日本男子初のメダルという壁を打ち破ることができるのか。五輪を前に高橋は、06年の荒川のことを振り返りました。


「あの時、荒川さんも僕もニコライ・モロゾフコーチに師事していたこともあって、常に選手村や練習会場への行き来を一緒にしていた。荒川さんがすごく自然体で、五輪自体を楽しんでいるのを同じ空気で感じた。だから今回は自分も、自ら五輪を楽しもう。五輪の雰囲気を感じ取ろう。それを感じられるくらいに、僕はちゃんと練習して準備はしてきたのだから」





冒頭で4回転トウループに挑戦。そして転倒。すると会場からは、むしろ大きな拍手がわき起こります。ケガをする以前の高橋が、FSで2本の4回転を入れられる選手だったことを誰もが知っていました。だからこその男気が、会場へと伝わっていたのです。


 すぐに起き上がった目に迷いはありません。残る2本のトリプルアクセルを降りると、すべてのジャンプをしっかりと片足で着氷させました。そして見せ場はステップ。イタリア映画『道』のテーマ曲で、遊び心あふれる大道芸のジェスチャーや、恋の苦しさ、別れの切なさへとドラマティックに展開していきます。


「人間の喜怒哀楽が詰まったプログラム。その心を表現したい」


 高橋の23年分の思いがあふれ出ていきました。


 FSは156.98点で、総合247.23点の銅メダル。しかも演技面の得点は84.50点で全体の首位でした。


「ただとにかく幸せです。4回転は失敗したけれど、昨シーズンにケガをしてもここまでたどり着いたこと、日本男子初のメダルを取れたことが誇りです」



表彰式で銅メダルを首にかけられると、右手で高く掲げ会場のファンに見せます。会場のあちこちを見回し、360度の客席で揺れる日の丸を目に焼き付けていました。


「4回転は、自分の理想に向かってやったので後悔はないです。むしろ良い経験。まだまだできる、まだまだ第一線でやっていきたいと感じました。だから五輪が終わったからって(引退を)決めるんじゃなくて、もういいなって思えるまでやることにします」


 引退さえ覚悟していたバンクーバー五輪。しかし、多くの支えと先輩たちの思いをつなげたこの銅メダルは、高橋自身の新たなスケート人生へとつながりました。このメダルこそが、10年世界選手権王者、そして12年グランプリファイナル王者という未来へ高橋を導く『道』だったのです。