Number ぎりぎりまで焦らないタイプ | 大ちゃんを全力で応援

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フィギュアスケートの髙橋大輔くんへの
思いや気持ちを中心に書いていきたいと思います。


宝石赤Number Web
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オリンピックへの道

「ぎりぎりまで焦らないタイプ

髙橋大輔、ソチへの逆襲開始!



松原孝臣 = 文
text by Takaomi Matsubara
photograph by Asami Enomoto

$大ちゃんを全力で応援



全身のあらゆるところに心が通っているかのようだ。

 ショートプログラム、フリーを観て、不意にそんなことを思った。NHK杯の高橋大輔である。

 圧巻としか言いようのないショートの『ヴァイオリンのためのソナチネ』。フリーの『ビートルズメドレー』でもショートに続き、4回転トウループを決めると、2度目の挑戦では3回転になるなどしたが、それでも、抜きん出た滑りを披露する。

 そして高橋は、NHK杯終了の時点で、今シーズンの世界最高得点で優勝した。

「やっぱり、ぎりぎりまで来ないと自分は焦らないというか、気持ちが入らないというか、順調にはいけないタイプなんだなという感じがあります」

 大会後、照れたような笑顔でこう語った。

 今大会へ臨む気持ちは、ショートの圧巻の演技のあとも緩まない表情が雄弁に語っていた。4位にとどまり、不振と言われた先月のスケートアメリカから巻き返したいという決意があった。

スケートアメリカでも、存在感は発揮していたが。

 実は、スケートアメリカを観たとき、それほどまでに悪いイメージは抱かなかった。

 そう思えたのはなぜだったか。例えばフリーの『ビートルズメドレー』、ジャンプのミスが出ても最後まで崩れた感じはなかった。ジャンプはどうあろうと、最後まで演じ切ろうという気持ちがそこにはあり、伝わるものがあった。そしてコンパルソリーの練習に取り組んで成果としてのスケーティングのさらなるレベルアップもまた感じられた。トップだった演技構成点が象徴的だが、高橋大輔のスケーターとしての存在感が確かにあった。

 もちろん、大会では4位という結果が残った。不本意だったろうし、特にジャンプには自信を失いかけてもいた。いや、むしろ自信を失いかけていたのは自分自身に対してだったかもしれない。

「正直、いろいろ怖かった部分もあったと思いますし、不安を感じ始めていたかもしれないと思います」

 スケートアメリカの前の精神状態を、こう振り返っている。

「痛いところをつかれ、いろんな話をして」

 9月には靴をかえ、エッジもかわった。慣れるのに時間がかかる。さまざまな面に影響は出る。ジャンプもそうだ。影響は決して小さくない。先を見据えて靴をかえたと分かっていても、不安になるのは無理もない。10月5日のジャパンオープンの前には風邪をひいて体調を崩した。こうして迎えたのがスケートアメリカであった。自信を失いかけていた、あるいは自分を信じきれなくなっていたと言えるのかもしれない。

 そこから約3週間を経てのNHK杯である。

「ニコライ(・モロゾフ)だけじゃなく、スタッフなどいろいろな方にいろんなことを、痛いところをつかれ、いろんな話をして、気持ちの面でオリンピックに出て自分自身がどうしたいのかということをもう1回考え直して練習をスタートしたことが(アメリカとの)違いかなと思います」

 高橋は気持ちを立て直すと、圧巻の演技を見せるとともに、さらに成長したということを示してみせた。

 夏場の充実感、その後の出来事による不安。よくよく考えれば、すべてが順調に推移するシーズンなど少ないのではないか。どれだけ備えていても、つまずきやトラブルは起こり得る。フィギュアスケートに限らず、どの競技の、どの選手もそうだ。


信頼と愛情を得るだけの努力を重ねてきた。

 一例をあげるなら、'04年、北島康介はアテネ五輪の2カ月前に膝を故障した。一時は動揺を抱えることとなったが、最終的には平井伯昌コーチとともにそれを乗り越え、2つの金メダルを獲得した。フィギュアスケートでも、2006年のトリノ五輪で金メダルの荒川静香、2010年のバンクーバー五輪で銀メダルの浅田真央はシーズンを常に順調に過ごしていたわけではない。

 オリンピックシーズンともなれば、なおさら万全を、最善を、と準備をして臨む。張りつめるからこそ、うまくいかないことがあれば、一見、周囲からは小さく思えることでも、選手にとっては大きな影響となる。

 そうした出来事を乗り越えられるか、ひきずってしまうか。たぶん、周囲の存在も大きいのだろう。

 高橋は、モロゾフをはじめ、チームの人々に厳しい言葉もかけられたという。きっとそこには、高橋への信頼と愛情があった。そしてそれは、信頼と愛情を得るだけの努力を、高橋自身が重ねてきたからだろう。


いまもケアが欠かせない右膝にはテーピングが。

 ひとつの光景がよぎる。ある取材で、NHK杯の約1週間ほど前にスケートリンクを訪れたとき、練習を終えた高橋大輔の姿がちらりと見えた。

 その右膝には、ぐるぐると、分厚いテーピングのようなものが巻かれていた。

 思えば、'08年の右膝の故障は、1シーズンという時間軸を超えて、順調にいかなかった出来事の最たるものである。

 今なおそうしたケアを欠かさず行ないながら滑り続け、さらに成長を志していることこそ、高橋の努力そのものなのではないか。

 ショートプログラムのあと、高橋は「希望が見えました」と語った。

 見出した希望の先を見守りたい。