こんにちは~o(^-^)o
今日は春のような暖かさ
![晴れ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/022.gif)
やっぱり暖かい方がいうですよね!
産経さんにあっこちゃんの記事がでていました。
タイトルが腹をくくった!!
なんてあっこちゃんらしいなと思いました。
ソチで引退を表明したあっこちゃん!
あっこちゃんの演技、まだまだ見ていたいと
思うファンの方はたくさんいると思います。
それが頑張る活力にもなる!!
「笑顔でスケート人生のフィナーレに突き進みます。」
こんな言葉を聞くとちょっと寂しくなりますが・・・
あっこちゃんらしくスケートを楽しみながら頑張ってほしいな~(^-^)/
![宝石ブルー](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/115.gif)
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130227/oth13022716150008-n1.htm
【鈴木明子のHAPPY SKATING】
「ソチ五輪挑戦」 腹くくった
【鈴木明子のHAPPY_SKATING】ソチ五輪の会場となるアイスバーグ・スケーティング・パレスで開かれたグランプリファイナルのフリーで演技する鈴木明子選手。3位に入り、この後のエキシビションの練習でソチに挑戦する決意を固めた=2012年12月8日、ロシア・ソチ(大里直也撮影)
今年から「ソチ五輪を目指している」と枕詞(まくらことば)がつく鈴木明子になりました。年末のフィギュアスケートの全日本選手権後の会見で、五輪シーズンに臨むことを正式に発表しました。
「ソチ五輪に出たい」と、気持ちが完全に固まったのは、選手権の約2週間前にソチの五輪会場で行われたグランプリ(GP)ファイナルのエキシビションの練習のときでした。その前に行われた大会一夜明け取材のときには、まだ決めていなかったのですが、会場のリンクでエキシビションのために滑っていたとき、「やっぱり自分はスケートが好きだな」という思いを改めて実感できたのです。
現在、27歳。自分が現役をどこまでやれるんだろうかと考えたとき、「五輪にもう一回挑戦してみたい。最後の最後に大きな挑戦をしてみるのも、自分らしくていいかな」と腹をくくったのです。今季は開幕前からずっと、「ソチ五輪を目指す気持ちは固まりましたか」と質問されることが多かったのですが、言葉を濁してきました。いま振り返れば、自分の中で、自分がソチ五輪に行ける確信が芽生えないと、宣言できないととらえていたように思います。
だけど、ソチに実際に足を運び、青と白で配色された素敵な会場を見て、ソチ五輪に行けるとか行けないということは後回しにして、まずはチャレンジしていくことのほうが大事なんじゃないかと考えが改まっていきました。「本当は自分はチャレンジしたいけど、いけなかったら…」。そんな不安もありました。でも、最終的に五輪に行けるかどうかは、誰にもわからないことです。それなら、最後のシーズンをやれるところまでやってみようと、気持ちが変わったのです。
■決めて、楽になった
ソチ五輪を目指すと決意が固まってからは、実は気持ちが楽になりました。
あと1シーズン、最後までやりきろうと思えるようになったからです。本当は、ずっと心のどこかでやってみたいと思っていたけど、表に出すのが怖かったのかもしれませんね。
少し驚いたのは、「ソチのオリンピックシーズンまで頑張ります」という前向きな現役続行の意思表明が、翌日の新聞などで「鈴木明子、ソチを最後に引退」となったことです。
「えっ、ソチシーズン以降もやると思われていたのかしら」ってびっくりしました。ファンの方から届いた手紙にも「寂しいです」って書いてありました。むしろ続けることを喜んでもらえると思っていたので苦笑いしましたが、私の演技をまだ見たいと思ってくれているということなので、うれしさもわいてきました。ファンのそんな思いも頑張る活力にしたいです。
最近は、年齢のことを聞かれることがとても増えました。フィギュアスケートでは、この年齢で五輪を目指すということが、よほど珍しいことのように映っているようです。ただ、そんな状況が決して嫌ではありません。年齢的なことで挑戦といわれることが多いのですが、気持ちはすごく前向きで、「前例がないならやってみよう」という感じで、ゲーム感覚的に楽しめる自分がいます。
実際に私の周りにいる人たちは、「まだまだでしょ」って言ってくれます。そのことが支えにもなっています。
■「2回目は違うよ」
2010年のバンクーバー五輪に出たとき、「五輪は最初で最後」と思っていたのも事実です。その後に「ソチ、ソチ」と思わなかったのも、五輪にこだわる理由がわからなかったというのが率直。
バンクーバー五輪は、それ以前に世界選手権のような大きな大会に一度も出ずに代表に選ばれたので、何も見えないまま、とにかくやることを精いっぱいやったという大会でした。いま思えば、8位という成績も、何も知らない強さがあったからかもしれません。
今回は、この4年間で身になってきたものを含めて、五輪を楽しめるんじゃないかなと思えるようになりました。2度目の五輪となったトリノ五輪で金メダルを獲得した荒川静香さんが「2回目の五輪は違うよ」と言っていたのも思い出します。スケート人生で経験してきたことも蓄積できたし、バンクーバー五輪よりも確実に技術がレベルアップできているという自信もあります。その成果が出せたらいいなと思います。
長久保裕コーチには、コーチの誕生日に手書きのカードで「あと1シーズン、一緒に付き合ってください」と伝えました。決して優秀な生徒ではないのに、ずっとあきらめずに教えてくださったコーチの喜ぶ顔がみたいです。できればうれし泣きも!
まずは、日本代表に選ばれること。その先にソチを見据えて-。笑顔でスケート人生のフィナーレに突き進みます。